2023.01.05

2023年・令和5年 地元各紙新年号への寄稿文 -23.01.05

地元の各紙新年号への寄稿文
『 北朝鮮・台湾がきなくさいからといって平和国家を捨ててはならない(北信ローカル様)』、
『 マスクを外せる日が待ち遠しい(長野経済新聞様)』、
『 長野市を「信都(しんと)」の上に「森都(しんと)」にしよう(長野建設新聞様)』 を以下に掲載いたします。

『北朝鮮・台湾がきなくさいからといって平和国家を捨ててはならない』
 世に紛争の種は尽きない。しかし、現代において、よもや先進国が直接関わる戦争が1年近く続くとは誰が予想しただろうか。少なくとも昨年の元旦は、コロナは大問題だったが、その他は平穏無事だった。
 それが今、プーチンはウクライナとの戦いで核をちらつかせ、核戦争の危機さえも現実のものとなりつつある。また、同じことが中国と台湾の間でも起こるかもしれないというのだ。更に北朝鮮が何回もミサイル発射実験を繰り返し、日本の領海に落下しJアラートが発動されることが度々あった。日本も身近に危機が押し迫っているかもしれず、初詣では願い事の一つに戦争が早く終わることを加えないとなるまい。
 日本は、第二次世界大戦後、戦火に見舞われることはなく75年間を平和に過ごしてきた。我々はそれを当然のこととして考えていたが、例外だったのかもしれない。
 だからといって防衛費を今後5年で2倍に増やせば安全というわけではない。ところが、一部の人たちが、これを奇貨として敵基地攻撃能力(反撃能力と改めている)を持つべきだといった、10年前では考えられなかったことを主張し出している。そして、更に驚くべきことに、世論調査も防衛費の増額も敵基地反撃能力も支持が不支持を上回っている。しかし、恐怖にかられて道を誤ってはならない。
 2023年は、慌てることなく、専守防衛という日本の立ち位置をしかと考える年にしないとならない。


『マスクを外せる日が待ち遠しい』
 臨時国会の所信表明で岸田首相は外ではマスクをはずそうと呼びかけた。ところがそれから数か月経っても東京では電車の中でも、ハロウィンで賑わった渋谷でもマスクをしたままである。もちろん私の一番長くいる国会でも同じであり、本会議の壇上でもマスクをしたままの発言が続いている。
 世界はとみると、ほとんどどこもマスクをしていない。辛うじてゼロコロナの中国で時たまマスクを見かけるが、日本のようにこぞってという形ではない。
 ただ、コロナ感染症が世界中で猛威を振るっていた頃は、ほとんどマスクの習慣のない欧米先進国でもマスクを着用した。空気感染が危険だとわかり、それを防ぐにはマスクが有効と科学的にわかったからだ。早速、欧米諸国は法律等で規制し違反者には罰金も課した。外出禁止も銃を持って取り締まった。
 ところが、日本はマスク着用も外出自粛もすべてお願いベースであり、法律は何一つも作られていない。不思議な法治国家である。かつてのベストセラー評論家山本七平がいう「空気」が決めているのである。今風に言うと同調圧力である。
 どこでもマスクをしている国は今や日本一国になってしまった。そこに第八波が来て(11月23日現在)長野県は最大の感染者(4328人)を記録し、人口比でいうと北海道についで2番目に多い。死亡者数は感染者数に比べてそれほど増えておらず、国民(県民)の拒否反応も当初と比べてそれほど高くないが、ますますマスクが必要となりつつある。
 マスクの他の効用は、私のようなズボラな者には髭剃りを忘れてもよくなることと、知人に気付かず顔も忘れたりしているのに、マスクでわからなかったと言い訳できることぐらいで、あとはろくなことはない。
 マスクを外す日が感染症が終焉した時である。
今年の元日は、国民がこぞって1日も早くマスクを外せるようにとお詣りするしかないのかもしれない。


『長野市を「信都(しんと)」の上に「森都(しんと)」にしよう』
 これを言うと怒る人がいるかもしれないが、長野市の中心部には緑が少ない。ただこれは全国の地方都市に共通かもしれない。
 中心街をざっと見渡してみると大きな木があるのは、ひまわり公園ぐらいで、近くにはほとんど見当たらない。
 これはすぐ東側(朝日山)にも北側(地附山、三登山)にも緑の山々がよく見えており、河川敷にも緑が多く、身近に緑の木もほしいという渇望感がもともとないからかもしれない。それにしても木が少なく緑も少ない。特に最近は、市役所の周りなどを中心に、一般住宅がほとんどなくなり、ビルと駐車場ばかりが目立つ。
 長野駅から善光寺に至る中央通りは、トイーゴのある昭和通りから北(上)側は歩道がきれいに整備され一息つける腰掛も設置されている。ところが、日差しを遮るものがなく、ゆっくりと足を延ばしておれず、どこかチグハグである。本物の街路樹が少ないのに、今(12月)はLEDのイルミネーションによる街路柱(?)で飾られている。通常は、葉の代わりに枝の先までぎっしりと付けられるが、中央通りの木は枝が切られ電柱のような木に巻き付けられているだけのものが多い。
 パリでは、女性市長イダルゴが「都市の森」を造ると張り切っているのに、東京では神宮外苑の木を1000本も切り倒すという。世界は挙げて気候変動問題に取り組み、SDGsを目指している。それをもともと緑に恵まれている日本や長野がその有難さを忘れて緑をないがしろにしていては罰があたる。「信都」長野市も、この際ダブル「シント」、すなわち「森都」も目指してもいいのではなかろうか。

投稿者: しのはら孝

日時: 2023年1月 5日 11:00