2023.02.02

【新型コロナウイルス感染症シリーズ17】同級生の顔も覚えずに卒業する高校3年生を今すぐマスクから解放すべき - 法律もなくマスクを強要する非民主主義国・日本-2023.2.2

 20年初、中国でのコロナ発生に対して台湾は矢継ぎ早に対応策を打ち出していた。1月15日感染者が1人も出ていないのに法定感染症に指定し、2月6日中国への渡航を禁止した。2月2日高校以下の教育機関で始業を2週間延期し、一連の対応は後に「神対応」と絶賛された。

<安倍政権の格好付けの犠牲にされた教育>
 それに対して日本は、何もコロナ対策をしてないという批判に対し、安倍政権が20年2月27日突然学校を標的にして休校を決めた。遠いアメリカすら中国との往来を禁止したのに、安倍政権は習近平の来日、東京オリンピック、中国からの部品輸入等の懸念から何も手を付けておらず、対応が後手後手に回っていた。そのため、何かやっているということが必要だった。そして犠牲にされたのが子供である。驚いたことに感染者が一人も出ていなかった岩手県庁も素直に従っている。諸外国ではとても考えられない強権発動である。
 学校に行きたくても行けない。卒業式も中止された。授業も相当遅れてしまった。もちろん6万8000人近くに到達した死亡者が一番の犠牲者であり、この中に羽田雄一郎参議院議員も含まれる。 しかし、大きなかたまりの犠牲者でいえば、コロナのために学校を休まされ、友達とも遊べず家の中に閉じこもり状態にされ、授業が再開されてもマスクをずっと着けさせられるなどの規制だらけで3年が過ぎてしまった子供たちである。

<マスクを強要する非民主主義国日本>
 安倍首相は、足りなくなったマスクを供給せんとしてあまり使われなかった「アベノマスク」を全国民に配布するというドタバタ対応もし出した。フランスは法律で、密になる公共交通機関と店内はマスク着用を義務付ける一方、その他は自由にした。極めて科学的・合理的である。それを日本は、明確なルールもなく、国民全員にマスクを推奨という曖昧な形で強要してきている。これでは、ゼロコロナを強いた中国と変わりなく、民主主義国とは言えまい。
 安倍政権は、経済を重視して緊急事態宣言の発出を躊躇しながら、教育すなわち子供にツケを回し、大人と同様にマスクを付けさせてしまったのだ。
<参考【新型コロナウイルス感染症シリーズ10】地方は工夫しながら一刻も早く授業を再開すべき(休校・9月入学 1) - 学習の遅れは夏休み返上と学習指導要領・標準授業時数の修正で対応 - 20.05.05>

<マスクの子供の中でも最大の被害者は高校3年生かもしれず>
 子供たちはコロナにはかかりにくい。かかっても亡くなることはまずない。コロナのウィルスの性質の悪さがここに出てしまっているが、若者や子供たちにうつっても無症状のことが多く重症化しない。しかしそのウィルスを高齢者に伝播させると大変なことになる。だから全員がマスクを着用することになった。楽しい給食も黙食とやらで、お喋りが禁止され前を向いて食べなければならなくなった。運動会や修学旅行といった行事もことごとく変更されたり、中止されたりした。落胆することも多い3年間ではなかっただろうか。
 それでも公立の小・中学校の場合は、ずっと小さな頃から幼稚園や保育園などが一緒で近所で遊んできたので顔も名前も分かるのではないかと思う。ところが高校はあちこちの中学から皆集まってきて初めて会う人たちが大半である。それにもかかわらず、マスク着用を強いられたため、最初からまともに顔も見ることもなく、あれよあれよという間に3年間が過ぎ、そのまま卒業を迎えんとしている。

<2022年を象徴する仙台育英・須江監督の名言>
 これでは10年後同級会で集まっても誰が誰だか分からない。このような哀れな高校生を作ってしまったのである。短大生は2年で卒業してしまっているが、大人でありそれなりに対応できただろうが、真面目な高校生は厳格なルールをひたすら守って3年間を過ごしたに違いない。
夏の甲子園で初めて白河の関を越え真紅の大優勝旗を持ち帰った仙台育英の須江航監督はインタビューで「青春って、すごく密なので」と言い全国民の胸を打った。なぜなら、コロナ禍で人間関係が「薄く」ならざるを得ない3年間だったからである。
 誰もがそうだがいつもの退屈な(?)授業よりも、修学旅行や文化祭といった非日常の行事こそ一生の思い出となる。ところがその大事な機会がほとんど失われてしまったのだ。私の身近な話では、小学6年生が大挙して押し寄せる修学旅行の国会見学がパタッと止まってしまっている。

<日常化したマスク生活>
 過剰で有効性に疑問のある規制が多々あったが、その代表例の一つがマスクである。自分の感染予防にも他人への飛沫拡散防止にも有効なことはわかるとしても、あまりに日常化してしまっている。そして学校も教育もいっしょくたにしてしまっており、マスクのルールに全く工夫がみられなかった。
 今は、マスクを外すのが怖いという人たちもいるようだ。化粧もしなくてよくずっとマスクをつけていたいという女性もいるという。私などもマスクで隠れるからと髭剃りもよく忘れるようになった。この手の話をすると止まる所がない。

<「口を塞いで」「青春に穴を開けた」マスク>
 同級生の顔が覚えられないのだから、異性に興味を持つ年頃の高校生が、マスクのために異性の顔をまともに見られなかったのだ。これは悲劇であり喜劇である。思春期にまともに異性の顔を見たこともなくては、今の晩婚化に拍車をかけてしまうかもしれない。少なくとも高校の同級生同士の結婚が少なくなるのは必定である。そうなると岸田政権が最重視するという少子化対策にもマイナスである。

<待ち受ける大学入試のためマスクして防戦する高校3年生>
 コロナ感染症を2類から5類への変更が5月8日と決められた。その際マスクの着用も原則不要にすることが専門家の間で議論されているという。得意の他人の判断、すなわち政府の責任逃れである。サミットはマスクなしにしたいから急いでいるとも言われている。しかし5月では遅すぎる。同級生の顔を知らずにそのまま高校卒業するというような酷いことは一刻も早く解消してやらなければならない。報道によると小中学校の卒業に間に合うように3月に子供のマスク着用緩和案が浮上しているが、急ぐのは高校生でも同じである。入試が終わったらもうマスクを放り投げてもよいようにしてやるべきである。
 この提案を関係者にしたところ、気持ちはわかるが現実は全く逆で、今(1月下旬)は最もマスクをきちんとしてコロナに感染しないように気遣いをしているのは、他ならぬ高校3年生だというのだ。私立大学の入学試験はもう始まっている。コロナに感染して入試が受けられなくなったら大変である。そうした者には別途受験の機会を与えるというが、明らかに不利であり、自主防衛するしかない。最後までコロナに翻弄されているのだ。

<マスク規制を外す世界>
 隣国韓国では、1月30日、2020年10月から実施してきた屋内での着用義務を解除した。ただ病院や公共交通機関では当面継続される。アメリカでは、全州で着用義務が撤廃されている。欧米で一番厳しいドイツでも2月から撤廃すると決めている。
 日本では経済活動の再開は熱心だが、教育や子供の活動については無頓着であり無理強いを続けている。岸田首相の「聞く力」とやらの対象は経済界の声が中心で、子どもの声は入らないようである。

<子供たちは一斉にマスクから解放すべし>
 岸田首相は国会の議論も経ずしてさっさと安保関連3文章を決めたが、それと同じ手際の良さで、卒業式を控えた子供たちにはせめて学校の中ではマスクをしなくてもよいと学校に促すべきである。その代わり祖父母(高齢者)にコロナをうつしてはならないので、逆に高齢者には今まで以上にマスクの徹底を呼びかけたりすればよい。他に感染防止の方法はいくらでもある。
 同級生の顔も記憶に残らず、胸をときめかせた初恋の人の顔も定かではなく(いやその機会がなかったのかもしれない?)マスク越しの目から上だけしか記憶に残らないというのはあまりに哀れである。せめて最後の1ヶ月か2ヶ月、同級生の顔をずっと見て、大声で話すという普通の高校生活を送らせてやるのが大人の義務である。

投稿者: 管理者

日時: 2023年2月 2日 17:47