2023.06.19

岸田首相がもてあそんだ解散風は許しがたい - 2年も経っていないのに議員をクビにする7条解散は廃止すべし -23.06.18

 私は2003年11月の初当選以来、7回連続当選で19年7か月、小泉政権で1回と安倍政権で1回と2度の2年未満の解散があったが、1期平均が約2年10ヵ月にしかならない。自民党に良識があった三角大福中時代は、3年経たないと解散風は吹かなかった。ところが今や、時の政権が解散をチラつかせ、マスコミが面白おかしく報道する。今回は解散について問題の所在を明らかにしたい。

<69条の不信任案可決による解散が王道>
 憲法制定者は国会で不信任案が通った時に解散することを想定していた。議院内閣制の本家イギリスでも、日本と同じようなそれ以外の頻繁な解散という弊害に気付き、「議員任期固定法」により3分の2以上の賛成がないと5年の任期途中の解散は制限された。そうして首相の解散権の乱用に歯止めがかけられた。
 順調なように見えたが、イギリスのEU離脱という大問題について、議会を解散して国民の信を問うことができず、混乱が生じてしまい、詳細は承知していないがまた元に戻されている。

<慣例化した7条解散には大儀が必要>
 憲法7条3項に天皇の国事行為として、内閣の助言による解散が規定されている。よく、解散は首相の専権事項で嘘をついてもよいと言われているが、権限は内閣にあるのであって首相ではない。だから、2005年の小泉郵政解散に島村宜伸農相が反対した時は罷免され、内閣として解散している。
 任期4年を途中で打ち切ってクビにするのだから、大儀が必要とされる。さもなければ、時の政権の政権維持に乱用されるからだ。

<野田自爆解散>
 2012年秋、皆気付いていないが、当時の城島国対委員長が解散を口に出し、野党自民党に話しかけていた。当時争点になっていたTPPについて、野田政権は参加しようとし、自民党は巧妙な言い回しで反対していた。国民(特に農民)は絶対反対だった。解散などしたら与党民主党が圧倒的に不利だった。それにもかかわらず、 野田首相は11月14日、党首討論で安倍自民党総裁とのやり取りの中で突然解散を口にし、解散した。そして308議席あった衆議院で57議席まで減らすという大敗北を喫した。
ほとんどの議員が地元に戻った夕暮れ時に、鹿野道彦、大畠章宏と私が、細野政調会長馬淵澄夫、田島一成に対し、TPPを進めるという公約の撤回を迫ったが受け入れられなかった。鹿野は、「一任を」と言う細野に対し、「同僚議員を落とす公約は認められない。私の方がずっと長く政治家をしてきている」と大声を上げたが突き進んだ。私は3年3ヶ月の短命に終わった民主党政権の戦犯は一に野田、二、三、四がなくて五に細野だと今でも腹立たしく思っている。

<解散しては力をつけた安倍首相>
 安倍首相は14年末と17年秋に2回の解散をしているが、その度に党内の求心力を増していった。2005年の小泉郵政選挙を身近で見ていたのだろう。解散の活用(乱用?)方法をしっかりと身につけていた。
 14年は消費税の先送りで国民に信を問うといい、17年は国難突破とか訳のわからない理由をつけていた。いずれもとってつけた、後付けの大儀であり、屁理屈にしかすぎなかった。
 17年は民進党の代表選挙があり、前原代表に決まったが、大衆受けを狙ったのだろう山尾志桜里を幹事長にと言い出した。ところが山尾のW不倫報道で混乱し、これを見た安倍首相は外遊先から突然解散を言い出した。自民圧勝かと思いきや、小池東京都知事を代表とする希望の党が出現、民進党と合流し、あわや政権交代かとの空気も流れたが、前原の球際の弱さと小池の排除発言で、自公政権が継続することになった。この間、僅か10日余の出来事で立憲民主党が生まれることになった。このように思いがけない解散は政治を動かすことが多い。

<支持率アップで自ら解散風を吹かせた岸田首相>
 岸田首相は24年秋の総裁選に向け、党内基盤の強化が悲願であり、それを解散により達成しようと目論んでいたに違いない。党利党略を飛び越した個利個略である。
 ウクライナ電撃訪問、日韓関係の改善、広島G7サミットと得意の外交で得点を挙げ支持率も上昇した。国民に信を問う政策課題は、防衛増税、少子化対策、マイナンバー、LGBT、入管法改正と目白押しだが、それで信を問う気はない。21年秋の総選挙から1年半しか経っていない。というのに、G7後の解散が取り沙汰された。
しかし、好事魔多しとはこのことである。東京都で自・公が衝突、選挙協力をしないことになってしまった。そこに息子翔太郎の官邸忘年会である。万事休す、解散風は急にやんでいった。

<年中行事の会期末不信任案提出との批判には当たらない>
 そもそも国会は年中行事、予算案の審議も法案の審議接見も同じ。解散が首相の伝家の宝刀なら、野党の伝家の宝刀である内閣不信任案を提出するのも年中行事であることに変わりはない。 
 今回岸田首相は最初から宝刀を振り回してチラつかせたが、内閣不信任案は憲法69条に基づき一会期に一度のみ提出で認められるものである。だから、不信任決議案が解散の大儀になるというのは詭弁でしかない。

<国会軽視の解散>
 憲法審査会では、衆議院の任期が切れた時に備えて、任期延長を許す憲法改正が必要と延々と議論してきている。別に大きく反対はしないが、それを最初の憲法改正のテーマにするという浅慮には驚く。国民は、何だ自分たちの保身ではないかと見抜く。小西洋之参議院議員はそれを批判した。表現は不適切とはいえ、ずっと議論してきた当事者として気持ちはわからないでもない。
 それだけ国会を重視するなら、おいそれと解散すべきではない。また、法案を通したら委員会を開かなくする悪弊を改め、その委員会も毎週1回は審議し、国会を活性化すべきなのに、さっぱりそんな気配がない。
 憲法審査会で最優先に取り組む課題は、首相ないし内閣の解散権の乱用防止である。

<異例の、解散しないという首相発言>
 6月12日(月)に上京したら16日(金)天皇陛下がインドネシアに発たれる前の解散、という話が国会中に流れていた。ところが、翌13日(火)になると一斉に今国会は解散がないのではという話が巻き返していた。ところが、岸田首相は一方で「今は考えていない。」と言い続けたのに、13日は「いつが適切か、諸般の情勢を総合して判断していく」と述べ、自ら解散風を煽った。
 そして15日(木)、岸田首相がぶらさがりでわざわざ「解散なし」と明言。首相は「伝家の宝刀」解散を口にするのは、解散の時だけである。それをしないという記者発表は前代未聞である。防衛費増額財源確保法案は最重要法案と位置付けられていたが、参院では立憲民主党は抵抗もなくすんなり採決に応じている。これを見た上での発言だとしたら、解散風は法案を通すための牽制だったとも見られる。だとしたら、解散を法案成立や日程闘争の道具に使うという不見識極まりないことをしていたことになる。それに応ずる野党第一党の不甲斐なさにも愕然とする。もっと信じ難いのは、こうした悪事を働く政府与党に不信任決議案を突き付けられない野党とは言えない「ゆ党」の存在である。
さんざん解散を弄んだ岸田首相は、多分これで求心力がかなり下がるに違いない。

投稿者: しのはら孝

日時: 2023年6月19日 10:37