2023.07.12

北斎の街・小布施で眞紀子節さく裂 - 田中角栄元首相の日本列島改造論は日本の故郷を守るための指針だった -23.07.12

<娘が父の「日本列島改造論」を語る>
 7月2日(日)、私は田中眞紀子元外相・元文科相に小布施の私の国政報告会再開第一回目の特別ゲストとしておいでいただいた。きっかけは5月31日の毎日新聞のインタビュー記事である。そこに久し振りに眞紀子さんの笑顔が載っていた。「日本列島改造論」がいろいろな人に読まれているという。1972年にポスト佐藤を決する田中対福田の自民党総裁選の前に書かれた日本列島改造論は、異例の91万部の大ベストセラーとなった。それから50年後、日刊工業新聞社が復刻版として出版したところ静かなブームを呼んでいるという。
 眞紀子さんには父の日本列島改造論の真髄を語ってもらうことになっていたが、ほとんどの来場者はかつての田中眞紀子節を聞きたがっていたと思う。

<ハデハデしい再開第一回目の国政報告会の理由>
 私は今回の会合を特別なものとして位置付けている。なぜならば、私が常々開き続けてきた公民館単位のミニ集会をはじめ大規模会合も含め、この3年半の間はコロナ感染症防止のため一切開催しなかった。というよりも開けなかったというのが実情である。ところが、巷では「真面目に地元活動をしていない」、「ガリガリに痩せと声もますます小さくなり、とても人前に出られる状態ではない」、「それを隠すために集会を開かない」等、フェイクニュースが悪意によって流されていた。それらを払拭する目的もあり、田中眞紀子さんのような大物ゲストを招き大々的にPRして集会を再開した。
 信濃毎日新聞の折り込みチラシも入れ、開催地の地元各紙でも同様に、1面に広告を掲載した。これだけ派手に宣伝をして会合をお知らせしたことは今までにはない。

<日本列島改造論の作られたイメージ>
 眞紀子さんが今の政治を語る口調は、我々が期待したとおり全く衰えを見せておらず健在だった。ただ、眞紀子さんによるせっかくの温かくも厳しい批評を私の拙い文章で汚してしまうことを避けるため、ここでは紹介を差し控えることにする。
 その代わり、やはり日本列島改造論について報告する。
 まず日本列島改造論への誤解を切ながっていた。なぜかというと、一般的な田中角栄のイメージである土建屋、そしてコンピューター付きブルドーザーなるあだ名がそうさせているのであろうが、日本列島改造論で日本の様々な開発が行われたという印象である。典型的な例は上越新幹線や国内各地での道路建設であり、本四架橋である。リニア新幹線も田中角栄さんの提唱によるものであると初めて知った。

<日本列島改造論の真髄は日本の故郷の再生>
 ところが、日本列島改造論の本当の狙いは、表日本と裏日本の格差の是正ということにあった。
 新潟の寒村に生まれ育ち、裸一貫から総理にまでなった田中角栄は豊臣秀吉と同様に今太閤と呼ばれていた。その娘が父を懐かしそうに語る時は皆がしんみりと聞いていた。一人娘の田中眞紀子を可愛がった子煩悩の政治家だったことは、この講演会で同時に販売された『父と私』という眞紀子さんの著書から知ることができる。
 私は1973年に農水省に入省し、田中角栄首相の絶頂期を近くで見ており、日本列島改造論を以前に読んでいた。だから私は、狂乱物価や土地の高騰を招いたといったことではなく、真髄は都市と農村の格差の是正であることをよく知っていた。私の政治信条と全く同じなのだ。
 ただ、私は壇上で「日本列島改造論は非常に硬い本です。言ってみれば役所の白書の本のようなものです。『父と私』のほうがずっと読みやすいし、眞紀子さんをそして田中角栄さんを知ることができる」と余計なことを言ってしまった。そのせいか、『父と私』が53冊も売れた一方で眞紀子さんが望んだ日本列島改造論はそれほどまで売れることはなく、眞紀子さんの父親想いに肩透かしをしてしまった。

<世襲政治家への毛嫌いと他者への感謝・思いやり>
 他に印象に残ったのは、世襲制を厳しく批判していたことだ。そういえば眞紀子さんには一人の息子と二人の娘がいるが、一人も政界入りしていない。あまたの誘いに対して、本人が応じてないのだそうだが、眞紀子さんは父・田中角栄が若い頃からあちこち連れて歩き、最初からマスコミの餌食になって追いかけまわされその姿を身近でみて子供たちが、政治への距離を置くことにしたのかもしれない。
 対談の中で、お父さんとのやりとりで、一番胸にしみ込んでいる言葉は何ですかと聞くと、「他の人たちに感謝しろ」という事だった。父親をこよなく愛し尊敬する眞紀子さんは、それを地で行っている。わがままなようでいて、実は周りに気を遣っていることが、今回の特別ゲスト講演の設営のやり取りでもよくわかった。

<政治家としての信念が党議拘束違反も蹴散らす>
 私は眞紀子さんと外務委員会で数年ご一緒している。感心な事に眞紀子さんは常に委員会に出席している。当たり前のことだがなかなかできない。それだけではなく、眞紀子さんはしっかり聞いていて、「何をバカな事を言っているんだ」「その通りだ、外務省がきちんと答えろ」というような野次を飛ばしている。ただこういう眞紀子さんだから、我々野党民主党の同僚になった時に、党が審議拒否をしていても、眞紀子さんだけは審議拒否を拒否して(?)1人ポツンと出席していた。党議拘束違反であり、普通の人ならこれで処分を受けることになるのだが、議員の仕事は委員会・本会議に出て審議し採決することだから必ず出席するという眞紀子さんの信念に、誰も文句を言えなかった。

<幻の日本初の女性首相> 
 今、自民党では、高市早苗、稲田朋美、野田聖子、小渕優子の4人が日本初の女性首相候補と言われているが、この4人の女性と田中眞紀子さんとの実力は似て非なるものである。もちろん我が党にもそのような人はいない。
 女性の首相として思い浮かぶのは、今はメルケル独首相、一昔前ならサッチャー英首相である。その前に父が首相で娘が首相という組み合わせはインドのネルーとインディラ・ガンディ、パキスタンのブットー父娘、インドネシアのスカルノとメガワティ、韓国の朴正煕と朴槿恵と意外と多い。父子ではブッシュ米大統領、トルドー加首相、リー・シンガポール首相であるが、父娘より少ない。こうした流れを知る田中角栄が娘眞紀子に帝王学を授けていたのかもしれない。
 私は、迫力は父の方がずっとあったと思うが、国民の胸にストーンと落ちる軽妙な言い回しや、当意即妙の答弁等は娘の方が断然優れていると思う。政治にはもっと違う要素が必要であり、例えば胆力があげられるが、娘もなかなかのものである。一つ足りないとしたら、周りの人たちを包み込む度量かもしれない。私のような鈍感な男は眞紀子さんに何を言われようと動じることはないが、大半の気の小さい人たちは眞紀子さんの一喝に怯え上がってしまうだろう。
 私のいつもの悪い冗談で、「アメリカのバイデン大統領が80歳を超えても大統領も務まるそうだし、まだ80歳前(79歳)の眞紀子さんに見込みもある」と紹介した。
 今更ながら田中眞紀子さんは日本初の女性宰相になるべき人だったとつくづく思う。

投稿者: 管理者

日時: 2023年7月12日 14:12