2023.09.11

【日本政府の悪い癖シリーズ②】 謝らない失敗を認めない日本政府はドミニカを見習え -カリブの小国ドミニカが日本人移民家庭に2千万円の補償金支払い記事に脱帽-23.9.11

<故国を離れると不幸が生じることが多い>
 私は、満蒙開拓のことに重大な関心を持って追いかけている。今年8月25日も、満蒙開拓で531人の集団自決をした高社郷満州国開拓団の慰霊碑法要を、私が実行委員長で開催した。
 また、外務委員としてサハリンに行った際、大勢の朝鮮人が置き去りにされ、そのままサハリンでずっと生き続けているということに驚いた。日本はソ連と国交を回復したけれども、韓国は回復できずにいたからである。樺太庁長官は気が利いていたのだろうと思うが、満州の開拓農民と違って、多くの日本人はソ連軍の侵略前に北海道に戻れたが、一緒に行った朝鮮人は見捨てていたのである。だから日本政府は、その人たちのためにソウルにアパートを建てるなどしたけれども、家族もいず、かつて知る親戚も少なくなり、ほとんどの人がサハリンに戻ったと聞いている。故国を離れた人々には何かしらの不幸が付きまとうことが多い。

<農地が提供されなかったドミニカ移民>
 1958年戦後13年経っていたけれども、まだその頃、カリブの楽園ということでドミニカ移民が奨励されていた。1956年、第一陣として28家族185人がダボンに入植し、59年までに244家族計1319人が移住したと記されている。広大な農耕地の無償分配が目玉だったが、実際は荒れ地で日本政府が約束した面積(6~18ha)も譲渡されなかった。割り当てられた土地ははるかに小さく所有権も認められず、単なる耕作権にすぎなかった。60年4月までに611人が集団帰国している。

<戦前の日本のほうが責任感があった>
 ドミニカ移民と比べたら満州開拓農家はずっとましだった。約束された農地が与えられなかったという話は聞いたことがない。満州人の農地を取り上げたのだろうが、日本と比べ広大な農地が与えられていた。何人かの人たちの苦労話を聞いたが、すべて逃避行でのことであり、8月9日のソ連参戦までは希望を持って農業にいそしんでいたのである。それを戦後13年経ったドミニカへの移民が悲惨な目に遭っていたのである。戦前の日本政府のほうが戦後の政府より責任感がありしっかりしていたことになる。

<反省しない日本国政府は雀の涙の一時金支払いで逃げるだけ>
 2000年7月に移住者126人が、国に約25億円の損害賠償求めて提訴したが、2006年6月東京地裁は国側の責任を認めたけれども、もう除斥期間が過ぎたとして請求棄却した。小泉首相がお詫びの談話を発表し、政府は一人当たり最大2百万円の一時金を支払っただけである。
 原告側は控訴をとり下げた。なんと冷たい国なのか。泣かせるのは、祖国を訴えることなどできないと言って、涙ながらに損害賠償の提訴に反対した人もいたそうであり、ドミニカの日系社会は分断されていた。

<ドミニカ政府の寛大な措置に脱帽>
 そうした中、2021年7月日本人移住65周年記念式典において、ドミニカ共和国の外務大臣が謝罪し、10月に農地を与えられなかった45世帯に対して補償を決定する大統領令を発し、22年2月から日本人に対する補償支払いを開始したという。ドミニカ政府は悪いと認め、67年後に補償を開始したのである。
 GDP世界第3位(2022年ドミニカは65位で、日本の約6分の1)の経済大国日本がケチなことに一人当たり2百万円に対して、ドミニカの額は一家庭、2千万円を超える。なんと温かい対応か。
 それに対して日本はいかに無責任な対応かということである。交渉した人たちは、日本政府に対して移民ではなく、棄民としての扱いを受われたと不信感を持ったというが、賠償請求を棄却されながら、日本政府の謝罪を条件に控訴を取り下げている。こうした心情を考えると涙なしには聞けない話になってしまう。(1人当たりのGDPでは日本が約3倍)

<満州開拓よりましなのは集団自決がなかっただけ>
 読売新聞(8月6日)に10歳でドミニカに移住し、日本の中学までの教科書をみんな持って行った向井さんの話が出ている。8年後に一稼ぎして帰れるということだったが、大噓だった。電気もないジャングルの中で、水道もなく水汲みに行かないとならなかった。農業に向いた土地ではなく、建設労働者となり家族を支え、学校にも行けなかったという。
 故郷にも住めなくなり、遠く知らない土地で生きなければならなくなったというのに、十分補償もされていない。一応小泉政権時に謝罪はなされたが、一生を台無しにされたことへの補償など全く考慮されていない。

 満蒙開拓もそうだったけれども、サハリンへの移住でも、どこにしてもそのようなことが普通に行われていたと思う。戦前はともかく戦後のそろそろ安定した時においてもそのようなことが行われていて、酷い目に遭った人たちがいるのは、私は信じられなかった。ところが、それに対して日本政府はお詫びをするだけで十分な賠償は認めていない。

それに対して、GDPの規模では日本の3分の1程度のドミニカが10倍の補償をするというのは、日本政府は恥ずべきことではないかと思う。

<カルフォルニアの強制収容所にはアメリカ合衆国政府もカルフォルニア州政府も謝罪、補償>
 第二世界大戦中1942年ルーズベルト大統領令により、12万人の日系人が10カ所の強制収容所に収容された。マンザナー強制収容所(カルフォルニア)は有名である。1988年には政府が謝罪し、賠償もし、2020年にはカルフォルニア州も謝罪している。ところが、どうも日本は中国や韓国に対しても謝罪がへたである。だからいつも喉に魚の骨がつかえたような外交になってしまう。

<水俣病患者にも福島第一原発事故で故郷を追われた人にも冷淡すぎる>
 最近の話では、原発事故により故郷を追われた人たちがたくさんいる。それに対して、東京電力も日本国政府も十分な補償をしていない。責任を取ろうとしない姿勢は、いつまでたっても変わらない。
 はるか昔の水俣病で散々ひどい目に遭った人たちも、それから何年も経っているのに、地域が異なる、期間が過ぎているといった言訳ばかりが先に立ち、水俣病患者として認められず、補償も何もされていない。各地でまだ裁判闘争が続いている。
 日本国政府はいつまでたっても反省をせず、失敗を認めず補償もしないという残酷な政府である。戦争の時の補償と違うのであり、このような補償は限られているし、いくらでもできると思うが、なかなかそういう風には動いていかないのが不思議である。

ともかく日本国政府は失敗を認めない。イラク戦争に対しても、本国のアメリカでさえも大量殺戮兵器はなかったことを認めている。他の国はもちろんそうだけど、追随した日本国政府がそれを認めようとしない。どうしてこういう無責任な態度をとり続けるのかよくわからないが、私は約束どおりの農地を与えられなかったことを素直に詫びるドミニカ政府の対応を日本も見習うべきではないかと思う。

投稿者: しのはら孝

日時: 2023年9月11日 18:30