狭い日本は電車と自転車の組み合わせが最適 ―道路を造って車で行き来する時代は終わったのではないか―23.10.04
この夏2年も経たないのに解散・総選挙が取り沙汰されたが、政治状況がそれを許さず、 お陰で地元にいて諸々の年次総会の会合に出席させて頂いている。平日に開催されることが多く、普段はほとんど出席できないが、今は時間が許せば片っ端から出席している。
<道路はあるに越したことはないが・・>
そこでいつも通り、それなりの嫌味を言いつつ祝辞を述べている。 私は、はっきりと「道路はあるに越したことはないが、それほど必要不可欠ではない」と述べ、片方で「洪水を防止する堤防建設や土石流を防ぐための砂防は、地球の綻びを直す事業であり、優先度が高い」とも述べている。道路関係者には不快極まりない発言だが、私は大半の皆さんには理解して頂けていると思っている。
<沸騰化する地球で恵まれ過ぎた大雨の降る日本>
グテーレス国連事務総長は、昨今の頻繁な山火事を受けて、「今地球環境問題が緊急課題だが、globalwarming(温暖化)を超えて、globalboiling(沸騰化)になっている」と、世界に警鐘を鳴らした。地中海諸国の島々での山火事、マウイ島の山火事、カナダのイエローナイフの山火事と乾燥した暑さの中、地球は燃えている(globalfiring)。
ところが、我が日本では酷暑は同じだが、台風と相まって各地に大雨が降り、水害や崖崩れが発生している。四方を海に囲まれた日本の自然災害はどうも大陸諸国とは異なるようだ。急峻な土地に1か月分の雨を数日で降らす日本の気候は、世界に類例がなく、洪水防止と山崩れ防止が死活的に重要となる。
日本は7割近くが山であり、平地はごく僅かである。それにもかかわらず国土総面積37 万5000㎢に対する道路面積は7,756㎢(2.1%)と高く、法面を含めると1万642km(2.8%) に達している。地球沸騰化のことを考えても、日本は道路をどんどん造り、車を野放図に走らせる時代はもう終わったのではないだろうか。
<道路密度の国際比較をしてみるとフランスに次ぐ・・>
外国では、日本のようにきちんと面積が算出できない国も多いので、面積当たりの道路の距離での比較しかできない。100㎢当たりでみると、1位がマカオの1,486kmで、以下 小都市国家サンマリノ、バーレーンが続き、一般的な面積の国としてはベルギーが4位で504km、 シンガポール、オランダと続く。西欧先進国は、10192km、13位独180km、15位イギリス172kmと大体同じレベル。そして日本は29位の90kmである。因みに世界平均は102kmで、日本は平均並みということになる。
<遅れる日本の地方の道路整備>
この数字は日本がいかに平地の多くを道路に割り当てているかを示していると思う。なぜなら、西欧諸国は、もともと日本でいう中山間地にもくまなく道路が整備されており、それがために長い道路距離になっているからである。
例えばドイツは林道整備が進んでおり、林内路網密度を日本と比べると日本は公道13m/ha で作業道を含めても16m/haに過ぎないのに対し、ドイツはそれぞれ54m/haと118m/haと公道で 4〜5倍、作業道を含めると7倍にも達している。それに対して、日本の過疎市町村は林道を含めて、道路自体がそれほど整備されていない(林道のデータは10年前のもの)。
<都市よりも地方の道路の方が整備されている西欧諸国>
私は、1991〜94の3年間パリのOECD代表部で外交官として勤務した。フランスを中心に地方に足を伸ばして、地方活性化のヒントを探った。一番は農家民宿と、地産地消に徹する星付きレストラン(当時15の三ツ星のうちパリには5店しかなく、10店は生産地にあった。ex.ブレスの鶏料理、マルセイユのブイヤベース)を日本で真似できないかと考えたからである。だから、相当山奥まで赴いた。その時に、初めてフランスの田舎の道路等は、都市よりも整備されており、そのために美しく、また都市からのアクセスが簡単だということがわかった。故石原慎太郎東京都知事は、農業過保護論に乗り中山間地域の道路は[熊の方が多く通る(?)」 と酷評したが、フランスは違っていた。しかし、これは地方を大切にする財政事情の良い仏・独ぐらいに限られていると思っていたのだが、その後、英・伊・西・葡に行っても同じだった。日本だけが、都会を優先し、地方をないがしろにしていたのだ。
つまり、西欧諸国は田舎の小さな道路を含めての距離なのに対し、日本は山村の小さな道はそれほど整備されていない。だから平地での比較では、多分日本が一番多くを道路に充てていると思われる。
<宇都宮市のLRTに拍手を送る>
世界はCO2排出を抑えるために、生活スタイルまで変えつつある。便利この上ない車による移動の抑制である。自動車メーカーは、EV化に取り組み、2030年にはガソリン車をゼロにする目標すら掲げている国もある。それに対して日本は相変わらず車が我が物顔で道路埋めている。
8月、宇都宮市に日本では初めてといえる、路面電車LRT(Light Rail Transit)が新設された。西欧諸国ではCO2排出量を減らし交通渋滞を防ぐために、都市部に一般の車を入れず、交通機関のLRTで行き来するようシステムが急激に導入されつつある。車で戸口から戸口へ行くのに比べて不便だが、国民なり市民はそれを受け入れているのだ。
宇都宮市のLRTは、ただ普通の電車と同じく新設しただけで、車の通勤を抑制したりする措置がとられておらず、私の直感では、前途多難な気がしないでもない。至る所に道路網が巡らされ、3人のサラリーマンがいたら3台の車を所有する日本の地方都市では、なかなかSDGsの時代にふさわしいLRTは生まれそうにない。ただ頑張ってほしいと拍手を送りたい。
<電車を消えゆくままにしておいていいのか>
1969年から1973年までの4年間、私は路面電車がゆったりと走る京都で大学生活を送った。緑色の電車に当然のごとく親近感を抱き続けた。車の数が増えつつある頃であり、寿司屋の配達のアルバイトの途中で、市電に体をぶつけられ(相手は悪くないと思うが?)、軽度の鞭打ち症にもなってしまった。その頃から市電はもう交通の妨げと言われていた。そして間もなく消えてしまった。
また、私が高校時代に3 年間使った長野電鉄木島線は廃線となり、ほんのわずかにレールの痕跡を残すのみである。そうした中スノーモンキーに支えられて多くの観光客も利用する湯田中線に乗り、長野市と中野市、山ノ内町を往来することがある。通学通勤客で満員だった昔と比べて、ほとんど座れるのはありがたいが、乗客の少なさに寂しさも覚える。私は大体は東側の椅子に座り、美しい北信五岳に見惚れつつ懐かしいひと時を過ごし、それこそまさに癒しになっている。
<狭い日本は、電車と自転車の組み合わせでよいのではないか>
「狭い日本そんなに急いでどこに行く」というかつての交通標語ではないが、私は車を飛ばして高速移動する時代は20世紀で終わりにするべきではないかと思っている。長野でも通勤で車を使うことは自粛し、駅までは歩き、遠ければ自転車で行き来する時代であり、道路よりもゆったりしたLRTが時代の流れである。
道路の割合と太陽光発電各国比較.xlsx