2023.12.12

経済・財政

【多様性シリーズ②】 地方を元気にするのは青年会議所メンバー - 全国チェーン店・ショッピングモール・スーパー・コンビニが地方をダメにする - 23.12.12

 国会議員になってから、何回青年会議所の会合に出て挨拶をしたかしれない。長野1区内には、みゆき野(飯山)、中野、須坂、長野、南長野と5つの青年会議所がある。今年は通常国会から臨時国会まで長い期間があったので、時間がある限り出席した。その都度私は元気な若手の皆さんのキビキビした動きに感心し、将来をあまり暗く考える必要がないと思った。

<どこも同じく見えるアメリカの田舎町>
 私は日本の危機は、全国が画一的になってしまうことにあると思っている。なぜかというと1977年アメリカ留学中に経験したことが強烈な印象となって残っているからである。私は2年間与えられた期間中、欲張って1年目にワシントン大学(シアトル)のLaw School、2年目にカンザス州立大学(KSU)農業経済学部に行った。
 西海岸の北から中西部まで相当離れていたので、大陸を横断するグレイハウンドバスを乗り継いで、54時間かけてカンザス州の小さな大学町マンハッタンまで行った。その時ただ寝て食べていただけだったが、意識がだんだん朦朧としてきていた。食事をして、慌ててバスに乗って次の街に着いた。ところが景色が全く同じなのだ。間違って逆の方向のバスに乗ってまた戻ってしまったのではないかと心配し、周りの人に聞いてみたがそうではなかった。それ程までに街並み、店の名前、雰囲気がほとんど同一なのである。日本人でもわかる食堂で言えば、デニーズ、マクドナルドといった類であり、更に悪いことに街の景色が何も変わらないのだ。多様性どころではない。私はギョッとした。
 私は地元の中野市の中心商店街が「中野銀座」と呼ばれており、なんで東京の銀座の名前をつけなくてはいけないのかと苦々しく思っていた。しかし、それぞれの店は地元の人たちの店であり、中野の由緒ある店だった。それに対してアメリカはどこでもみんななんでもかんでも一緒で、変化がほとんどないのだ。

<どれだけまずいか試してやろう食べ歩き旅行>
 最初は気に留めなかったが、あることに気が付いた。朝飯・昼飯・夕飯は、どこでも料理はほとんど同じなのだ。当然すぐ飽きることになる。これはどこでも経験したから、それほど驚くに値しなかった。前号のとおり、ともかくアメリカの食生活は単調で味気ないものだったからだ。
 日本ではだめな食事の代表の大学の学食なり寮の食事が、アメリカでは栄養士がいることから一番きちんと管理されている良い食事だという国である。
 私はアメリカの農業は不健全だと今でも感じることができる。何故かというと、アメリカの農業が生み出している食事が健全ではないからだ。アメリカ料理などというものがあるのかどうか。アイダホポテトといっても、アイダホ州に芋料理があるわけではない。中西部では小麦、大豆、トウモロコシの単作の大規模農業は飛行機の上から見るとそれは見事である。しかし、そこでおいしい料理があるとは聞いたことがない。
 私がこのことを書いたら、私の言を引用し今は亡き堤清二(詩人 辻井喬)は、「アメリカはどれだけまずいか試してやろうという食べ歩きしかできず、旅の魅力が半減する」とうまく表現してくれた。1980年代前半であり土光敏夫臨調を奇貨とした日本農業批判が吹き出していた。そして、日本農業をとるかアメリカ農業をとるか国民に問うてみたら良いとまでアドバイスをくれた。
 あれから40年、世界が日本伝統文化である和食のおいしさに気付き、世界中に広まっている。堤はまさに先見の明があったのだ。それに対し、農政改革とか行革とかばかり叫ぶ人たちは、日本の本質そして日本国の何たるかを分かっていない軽薄な人たちである。

<さびれ果てていく町の中心街>
 支持者訪問をしているとよくわかることだが、中山間地域は過疎化しているが街中も空洞化している。商店街のシャッター通り化はもう諦められたのか、ほとんど言われなくなっている。人手がかかる理髪店、美容院だけが残っている。それから食堂も残っているが段々に減っている。魚屋、八百屋、それから電気店、つまり小さな個人商店が大規模量販店の進出でやっていけなくなり、跡継ぎ不足もあり次々と消えているのである。
 江戸時代の長屋、八っつぁん、熊さんがいて、仲良く暮らしていた隣近所がみんな知り合いでというようなのが、急速に衰えてしまっている。マンションの隣は何をしている人かわからない。日本も世界もそういう社会を作って平気になってしまっているのだ。
 私は日本の社会を大きく変えた要因として大規模店舗規制法の撤廃があると思っている。スーパーマーケット、コンビニエンスストアー、量販店、ショッピングセンターばかりがのさばり、日本の街全体がますます画一化されているのである。
 だから地方では街がさびれ、小さな祭りがなくなってきている。これでは日本は活力がなくなっていくと思う。

<1年間臨時青年会議所メンバー>
 私は40歳ちょっと前の頃、農林水産省の秘書課から頼まれて、日本青年会議所が年間を通じて月1回ずつ開催する勉強会に1年間お付き合いをして、提言をまとめる政策室の活動の手伝いをした。斉藤斗志二会頭(1984年 後に衆議院議員、防衛大臣)から農業問題をテーマとし、米の自由化をするという命題をいただいた。青年会議所には農業関係の人はほとんどおらず、よくわからないので誰か同じ歳位のアドバイザーをということで私が行くことになっていた。農水省は訳のわからないことの対応にはよく私を使った。
 私は勉強会をする前から結論が出ているような非民主的提言を絶対にさせない、という心意気で臨んだ。私の強引なアドバイスが功を奏し、メンバー総意の提言にすることができた。その時の旧友には新潟県の若きコメ農家吉村修のように今も付き合っている者がいる。

<農業の跡を継いだ弟に青年会議所入りを勧める>
 月一回東京に集まり、こってり勉強会、その夜銀座で飲み会をして一泊、翌日も勉強会。途中、「全国から集まる京都ロム」の会合にも行き、委員長の地元佐賀県でも一回勉強会。かくして青年会議所の皆さんと全く同じ1年を過ごすことになった。私はこんな組織があることを初めて知り、その熱意に感心した。
ただ、感心しただけではなく、地元で私の弟が農業をやって跡を取ってくれていたが、農協青年部だけではいけないので、青年会議所にも入れと勧めた。嫌がるので、私がしばらく会費を払って中野青年会議所のメンバーになっていた。中野青年会議所では、農民は初めてだったという。「孝が変なことを教えるから、毎日青年会議所に行ってくると言って、仕事をしなくて困っちゃう」と母親に叱られた。
 ところが、世の中は変われば変わるもの。最近、キノコ栽培が企業的なものになっていることもあり、中野青年会議所には農業青年が多くなっているという。

<日本の活性化は青年会議所から>
 私は、冒頭に述べたとおり、地方の活性化ひいては日本の活性化の一つの鍵は青年会議所が握っていると思う。なぜなら、まさに地元中の地元の若者の集まりだからである。上からの古い発想だけではどうにもならない。ボトムアップ、下からの発想が必要である。私の唱えてきた地産地消の人版である。
私は青年会議所がきちんと頑張って、そして地方の店や企業をきちんと維持してくれなかったら日本は崩れていくのではないかと思っている。それを食い止めるには青年会議所の皆さんに踏ん張ってもらうしかない。

投稿者: しのはら孝

日時: 2023年12月12日 05:42