2024.01.27

政治

【政治とカネシリーズ➂】法曹人事にまで手を突っ込んだ安倍元首相の狙い -小松一郎(法制局長官)、林 眞琴(検事総長)、寺田逸郎(最高裁長官)- 24.01.27(1月9日脱稿 その後加筆修正)

<立花隆の教え>
 私は、今から30年前に島根県共済連の勉強会の講師として招かれた折に、知の巨人・立花隆と1回だけゆっくりと話をしたことがある。 立花はノウハウの本の中で、物事の本質を見極めるには時系列で追いかけ、登場人物がどこで何を言い、何をしているかをよく見ると悪巧みがたちどころにわかるようになる、と教えている。私は合点し、それ以降実践している。

 そこで、安倍がどこで何をしようとしていたのか立花流に追ってみる。

<法制局の経験のない小松法制局長官>
 安倍は、13年8月内閣法制局長官に、小松一郎フランス大使(元外務省国際法局長)を任命した。各省から選ばれた有能な法制局参事官が部長(4人)になり、次長になり長官になるコースが決まっていた。それを法制局の勤務経験のない外務省のエリートが突然指名されたのである。極めて荒っぽい人事であり、前代未聞だった。
目的は明らかだった。内閣法制局は憲法9条を巡る解釈では、「集団的自衛権の行使容認は違憲」という立場であり、安倍政権に常にブレーキをかけていた。そうした中、国際法重視で合憲論をとる小松を抜擢したのである。安倍はこの後14年7月憲法解釈を変え、15年9月安保関連法を成立させた。

<有能な外務官僚の人生を狂わせた抜擢人事>
 1980年代後半、ガット・ウルグアイラウンド(UR)交渉の折、小松はジュネーブ代表部でURを総括的に担当していた。くどくどした他の公電と比べ、小松の「簡にして要」かつ綺麗な読みやすい公電はURの流れを知るのに役立った。頭の中がきれいに整理されていたのだろう。
 その後、2011年1月小松がスイス大使の折、菅首相に随行しダボスの世界経済フォーラムに赴いたときに初めて会って少し話した。毎年5人ほどいるフランス語研修組の中から、3年に1人大使の任に就けるが(つまり15分の1の確率)、小松はその最終ポストに就いた。満面に笑みを浮かべて赴任のあいさつに来た。しかし、僅か1年で法制局長官として帰国してあいさつに来た時は、打って変わって青白く、不機嫌だった。後から知ったが、当時既に癌が体を侵し始めていたのだ。長く務められず、現職で亡くなった。ところが、国会に招聘した憲法学者3人が違憲と言ったにもかかわらず、2015年集団的自衛権を認める安保法制ができあがってしまった。安倍政権のタカ派ぶりは向かうところ敵なしだった。

<黒川のえこひいき定年延長>
 次に検察人事への介入は凄まじかった。検察庁は法務省の下部組織であり、政府の機関であることから、内閣の人事権が及ぶ。しかし、三権分立の大原則もあり、また検察はロッキード事件のように首相経験者でさえ追い詰められるため、政治的中立性・独立性が強く求められることから自制が働いていた。刑事局長を経験した林真琴が検事総長の本命であろうと目されていた。ところが、驕り高ぶる安倍は、同期の黒川弘務に拘り、20年2月の定年を延長までして、黒川を検事総長に就けようとした。森友学園にも桜を見る会にも手も足も出させぬようにという画策であろう。それまで黒川は、官房長、事務次官等の要職に就きながら、安倍・菅の意のままに動き「官邸の守護神」と呼ばれていた。
安倍派・清和会のキックバックの露呈を察知したが故に、黒川検事総長で検察を牛耳ろうと目論んでいたのかもしれない。
別表『黒川弘務氏検事定年延長問題と桜を見る会・前夜祭問題【簡易版】.pdf』参照

<天は安倍の思惑を受け入れず>
 しかし、天網恢恢疎にして漏らさず、黒川の記者との賭け麻雀が発覚して、その企ては頓挫した。黒川は文字通り「時の人」だったにもかかわらず、こともあろうに賭け麻雀に興ずる神経に私は驚愕した。検察トップの強引な定年延長は国民の目にも明らかに不正と映った。世論に反対され、政府は定年延長法の成立を断念した。安倍の驕りが招いた落とし穴だった。そして、検事総長には名古屋高検検事長に左遷(?)されていた林が就任した。

 林は、1991~94年の3年間パリ大使館に勤務していたが、私は同じ時期、同じ建物のOECD代表部におり知っていた。リヨンに国際刑事機構があることから、検察と警察のエリートがパリ大使館に出向していた。正にぶっきらぼうな検察エリートだった。検察は人付き合いでする仕事ではなく、林こそ適任だっただろう。そして、天はそう配剤した。

<検察の思いがけない復権>
 ただ、検察といえどもきれいごとだけで動くわけではない。国策捜査もあり、世論の動きをみての捜査もある。村木厚子事件のように、見込み捜査の失態もやらかしている。検察は2010年大阪地検特捜部主任検事による証拠改ざん事件が発覚して以降、いわば「冬の時代」が続いた。その後、久々に本格的政界捜査に踏み切ったのは、2019年12月の秋本司自民党衆議院議員がIR汚職の贈収賄事件により逮捕されたときである。加えて思いがけず、林(検事総長)の誕生により、天下晴れて思う存分動ける事態となった。
検察は今総出でキックバックという清和会のそれこそひどいごまかしを摘発している。特捜部の復権といえる。今までの圧迫への反動もあろうが、安倍一強で歪んだ政治を糺してもらうなら大歓迎である。

<安倍の最高裁への介入の目論見は本当なのか?>
 最近某紙の記事で、安倍が最高裁人事にまで介入しようとしていた事実を知って、更に肝を冷やした。その雰囲気なりを感じ取った竹﨑博允最高裁長官が予定されていた辞任を早めて、寺田逸郎最高裁長官人事を断行したというのだ。事実だとしたら安倍支配は、マスコミへの圧力ばかりではなく、三権の分立で絶対に独立していなければならない司法の世界にも広まりつつあったのだ。

<親子2代の寺田最高裁長官>
 寺田は1977年私のアメリカワシントン大学(UW)留学時、日本法の専門家ヘイリー助教授に敬意を表してUWのサマースクールに来たので、シアトルで会っている。寺田の父(寺田治郎)が最高裁長官だったので私は、なぜ父と同じ分野に行くのか、一番出世して最高裁長官になったところで、父親と同じだと言われてしまうではないかと、余計な嫌味を言っていたことを覚えている。しかし、寺田は、立派に父と同じ最高位に就いた。

<破格の厚遇をされた北村安倍首相秘書官>
 大体が安倍とは疎遠な知人の中で、特別に厚遇された例外がいた。安倍首相秘書官をやり、内閣情報官、国家安全保障局長とずっと安倍側近だった警察庁の北村滋である。彼もまた林と全く同じ時期にフランス大使館に勤務していた。
 OECD代表部の外交官はフランスには疎いだろうと、気の利いた小野正昭公使が同じ建物のパリ大使館の担当に政治、経済、文化等というテーマごとに、フランスを学ぶ講座を設けてくれた。その中でピカイチの講義をしたのが政治担当の北村だった。旧知の鈴木棟一元毎日新聞記者が年に数回はパリに来ていたので、そのたびに3人で会食をするようになり、帰国後も度々席を共にしていた。

<司法(検察)人事介入の報いを受ける安倍派・清和会>
 安倍は内閣人事局を通す官僚の人事もほしいままにして支配したのだ。ひどいと思うが、小松・北村という優秀な官僚を見抜く眼力には敬服する。ただ、力のある者は権力を抑えて行使すべきであり、安倍の司法への介入は明らかに節度を越えていた。今そのしっぺ返しを受けて当然である。

投稿者: しのはら孝

日時: 2024年1月27日 11:31