2024.02.02

政治

【政治とカネシリーズ④派閥・付番外編】派閥解散・解消は掛け声だけでなく実現すべし-政策グループに各個人の議員がお金を出して運営したらよい-24.02.02

<衆議院を解散できず宏池会を解散という皮肉>
 1月18日夕方のテレビのニュースで、岸田文雄首相が突然自らの派閥、岸田派・宏池会を解散すると言い出し、いつもそっけなく記者の質問を遮ってやめるのに、何度も振り返って「解散」と繰り返している姿が飛び込んできた。これほど重要な案件にもかかわらず、きちんとした記者会見ではなくぶら下がりだったのだ。19日の安倍派・清和会の会合の前に機先を制したのだろう。追い詰められた上での決断であり、ビックリ仰天だった。政権を支える麻生副総裁、茂木幹事長にも事前の通告、根回しもなく独断専行だった。
 23年の広島サミット以来、あれだけ衆議院解散に執着したものの本旨は遂げられなかった。首相(総裁)は派閥を離脱するというルールを無視して派閥の長であり続けたにもかかわらず、その愛する(?)宏池会を解散することになったのは皮肉としか言いようがない。国民より、国家より、自民党より、派閥よりも自らの保身すなわち首相であり続けることを優先したのである。

<派閥の大義名分は噓だらけ>
 派閥は若手の育成と政策研究に必要だときれい事がよく言われる。
 若手の育成など政党がやるべきことであって、派閥がなければできないものではない。ただ、私は古典的な教育には役立っていることは認めざるを得ない。なぜなら長幼の序や遠慮や配慮といった人間としての基本的素養の欠ける人たち、つまり、「オレがオレが」の意識の強い人たちがたくさん国会議員になっており、それらが派閥の中で先輩から叩き直される機会が多くなるからだ。我が党のズレた若手をみると、そのことがよくわかる。大政党では目が皆に行き届かないが、小集団ならそれができる。といっても100人近くの大集団は政党と同じになってしまうし、その役割は果たせなくなっているだろう。
 政策集団とよくきれい事で言われるが、私は派閥が何か特別な政策提言をして、それが後々の政策に具体的に実現したというのはあまり聞いたことがない。
 かつては、経済重視(宏池会)、対米重視(清和会)といった政策の違いがあり、派閥間で疑似政権交代が行われて、国民もそれを是としていたが、今やその差は薄れている。菅から岸田では政策の中身は変わらない。いや、同じで防衛重視等は増幅している。となると、派閥はポストとカネ以外に不要になる。

<選挙の互助会の意義は薄れる>
 その自民党も、定数5人の選挙区で5つの派閥がみんな立つといったようなことがなくなり、小選挙区制になり1人区になったことから、特定の派閥の者だけ応援することはなくなり、選挙における派閥の有用性がなくなっている。だから今77人と自民党の4分の1も無派閥であり、昔ではあり得なかったことである。つまり単なる同志集団にすぎない。ただ総裁選とかになると相変わらず跋扈している。

<政策研究は議員連盟で十分>
 自民党の派閥が、逆にグループの人から毎月10,000円なりを集めて勉強会を開き、一緒に研修しているのだったらいいことだと思う。グループ活動はあっていい。私は今石橋湛山研究会という超党派の議員連盟の共同代表をしているが、まさに政策集団であり、政策活動のために会費を集めている。こういうグループならいくつ所属してもいいし、いくつあってもよい。ただ、お金を集めキックバックというみえみえのゴマカシをしてその金を貯めて、ろくでもないことに使うことになると、自民党の中の一つのミニ政党のようになり、時代遅れも甚だしい。
 自民党の派閥は大揺れで、とうとう3つの派閥が解散し、残る麻生派、茂木派も続々と離脱者が増えている。やはり志を同じくする者は動くのだろう。湛山研究会の共同代表岩屋毅が茂木派を、幹事長の古川禎久が麻生派を脱退した。また神宮外苑の乱開発阻止に一緒に取り組んでいる船田元も茂木派を脱会した。

<人事に派閥推薦の功罪>【派閥に人事をさせない】【閣僚人事の推薦禁止】
 ただ、私は派閥は絶対ダメでいけないというのは、あまり理想論にすぎていて与するわけにはいかない。私が敬服する亀井静香は、「3人寄れば一つのグループになるんだ」と言ってはばからない。ただし日本のように巨大与党が5大派閥に分かれて、その派閥の領袖を総理にすべくに党内ですったもんだしてるというのはあまり聞いたことがない。
 派閥に入る理由として、お金もさることながら、政務官・副大臣・大臣のポストの割り振り機能が派閥にあり、そのために仕方なく入っている者が多いと思われる。無派閥で自分の実力を評価してもらって閣僚入りをする自信がないのだろう。だから派閥解消のためには組閣にこの派閥推薦なるものをやめると言い出した。確かに一理ある。

<派閥推薦人事の意外な効用を忘れてはならない>
 派閥が全て悪のようにいわれている。実際キックバックの悪例にみられるとおり「政治の闇」となっていることは事実である。私は一つだけ役割を果たしていることがあると思う。それは、人事の公正さなり平等にいくらか貢献していることだ。
 派閥間の公平性を保つため、派閥から注文が出てそれなりに調整されることになる。だから、マスコミは何々派が何人と書けることになり、大きなえこひいきはできなくなっている。派閥の推薦にばかり従った人事は硬直化するが、公平という別の側面を持っている。
 これがないと、我が党のようにそれこそ幹部の趣味ばかりがまかり通ることになってしまう。自民党でも1人区選挙となり、公認も一元的になり、党執行部の権限が肥大している。それを少しでも是正するのが派閥の調整だったのだ。ただ派閥がなくなっても、今も無派閥がそれなりに遇されており、またグループ間で調整されるだろう。長年の政権与党にはそれだけの知恵が残っている。私はむしろ人事にグループが介入しないといけないと思っている。

<自民党の派閥解消は掛け声だけで一向に実現せず>
 自民党の派閥解消の歴史は古い。何回も決定・宣言したにもかかわらず派閥は何回も不死鳥のように蘇っている。つまり、全く実現されていないのだ。
 1回目は、ロッキード事件後の1977年の党大会で解消を決定したものの、翌78年の大平・福田の総裁選で事実上復活。
 2回目は、1985年政治倫理綱領で定める。
 3回目は、政治改革と言うといつも出てくる1989年政治改革大綱であり、派閥の解消、首相・党幹部の派閥離脱を宣言している。
 4回目は、1994年末、5派閥が解散を宣言するも、政策集団までは禁止しなかったことから、95年9月の総裁選で復活し、元に戻ってしまった。
 さて、5回目となる今回の政治刷新本部の決定である。4回目と同じく政策集団を公然と認めるどころか、麻生・茂木の2派閥は罪を問われなかったから解散の必要なし、と堂々と残っている。

<昔金丸信、今森喜朗と前世紀の遺物がうごめいている>
 それを、今回自民党総裁である岸田首相が言い出した派閥解散の方向に一応は動き出した。やればできるのだと声援を送りたい。2月2日現在、宏池会と同じく会計責任者が立件された清和会・安倍派と志帥会・二階派、そして無傷の森山派も解散を決めた。麻生派と茂木派は存続させるとしている。求心力を失った岸田首相が他の派閥の反発をはねのけられるか、先行きが見えていない。
 もう一つ蛇足で付け加えると、自民党の議員の4分の1を超えるような大派閥は弊害が目立ち、分裂する(田中派)か権力に溺れて悪をしでかして消えていく(清和会)かの途しか残らないのではないか。
 田中後には金丸信が影響力を持ち、残り金を貯め政界を汚していたが、今また安倍派の森喜朗が老人支配を続けているのは瓜二つであり、同じドラマを見ているような気になってしまう。それだけ自民党の悪癖は直りようがないということだ。
 つまり派閥はそれだけいびつな存在であり、潰れるべくして潰れているのだ。かくなる上は、自民党も出直すべく潰れた方が立派な政党に生まれ変われるのではないか。そう言えば、小泉純一郎は自民党をブッ潰すと言って首相になったが、潰すことはなかった。その小泉の公約を同じ派閥のキックバックで実行に移されるなら、それこそ瓢箪から駒であり、日本の政界の浄化、活性化になり、こんな喜ばしいことはない。


派閥番外編

<相変わらずメリーゴーランド人事で疲弊する立憲民主党>
 恥ずかしながら、私の所属してきた野党第一党の人事は端的に言ってなっていない。時の幹部の思うままの人事であり、同じ者がずっとポストを独占し続ける。私の造語のようにとられているが、米紙が民主党政権時代、人事があってもポストが変わっても顔ぶれが同じことを、メリーゴーランド人事と呼んだ。然りである。同じ人がずっと華やかな(?)ポストに就き続けた。今もその悪しき伝統は変わらない。
 野党など政務三役ポストがなく、せいぜい党の役職かテレビ中継のある予算委員会しか見せ場がない。古い人しかわからなくなった6人組(安倍の5人衆よりずっと前)という昔の顔もさることながら、新しい人も時の幹部の思いのままで相変わらず同じような人ばかり役職に就いている。これが我が党に活力が欠け、離党者がちょくちょく出てくる大きな要因である。

<ダブりを許す野党グループ>
 野党側の派閥は一体どうなっているのかという質問が必ず出てくると思う。私は群がったりすることがもともと好きではない。だから当初どこのグループにも属さなかった。ところが、2004年議員になって半年、私は5つのグループに所属する一番いい加減な衆議院議員だと野党詰めの記者から知らされた。
 私が所属していたのは、「羽田グループ」、「リベラルの会」、「国のかたち研究会」(菅直人グループ)、「一新会」(小沢グループ)、名前を忘れたが筒井信隆、仙谷由人の勉強会である。誘われれば断れない私の悪い性格が災いしたのである。記者からの指摘でそうかと気が付いたが、どこの昼食会にも行っていなかった。一新会は松木けんこう等が入れというので「小沢さんが党を出ると言った時に止める」ことを条件に入っていた。この件は、福田首相との大連立を反対された小沢代表が党を出ると言い出した時に有効に働き、止めに入ってくれた。私は政策ではなく、政局にならないようにするために入ったことになる。
 当然、1度もそれらグループからお金をもらったことなどない。逆である。毎月5000円位ずつ出しているのが普通である。なんとか議員連盟は、100~300円位までの相場だが、民主党のグループは多分月5千円が相場である。
 自民党は、毎週木曜日の昼に、結束を固めるため同じ日に派閥の昼食会を開いて、他の派閥と重複して籍を置けないようにしている。政権与党にならんとする民主党もそれに倣っていたが、我が党のグループは、ダブりも許すことになっていた。自民党の派閥は、他の派閥は仲間でありつつも明確に敵なのだ。カネや人事、選挙が関わるので、あっちもこっちもというコウモリ的態度は許されなかった。

<素交会の運営を全面的に支える>
 その後、所属することになったのは、私が派閥を運営することになった「素交会」である。
 2011年菅内閣の後を受けて代表戦を行うことになった。反小沢の野田佳彦と親小沢の海江田万里が対立し、一騎打ちという様相を呈していた。私はそれはおかしいと思い、この党を救うためには鹿野道彦に代表になってまとめていってもらう以外ないと考えていた、そこで水面下で動いていたが、鹿野代表・首相の目的は達成できなかった。これでは政権維持ができるはずがないとガックリしたが、心機一転、鹿野を中心にグループ活動をしていこうということで、私が事務局長や幹事長となり、毎週一回勉強会を開いて、ずっと続けてきた。これほどきちんと毎週ゲストを招いて勉強会をしたグループはないと思う。他のグループからは、あれは派閥ではなく勉強会をしているだけだと揶揄されたが、事実その通りだった。会費5000円で毎週1回の講師料を賄いつつ、昼食代はそのつど1人1000円ずつ集めながら続けた。
 私が心配した通り、野田首相は2012年末皆が止めるのも聞かず解散に打って出て大敗し、3年3か月で野に下ってしまった。そして、この時の不甲斐なさが国民に焼き付いてしまい、その流れを汲む立憲民主党はいまだ支持を得られていない。
別表『自民党の派閥と野党のグループの比較.pdf』参照

 民主党・民進党にはいろいろな考えの人がいるが、党が分裂しないで再び政権奪取することが素交会の大事な目的だった。ところが、2017年に素交会が中心になって擁立した前原誠司代表が小池百合子東京都知事と希望の党を設立し、三党に分裂してしまい、再びその目的が達成されなかった。それ以来素交会は解散し、今は会合を開いていない。
 私の結論は、簡単に言うと派閥でなくとも野党民主党・民進党時代の素交会のようなグループでも十分役割を果たせるということだ。

投稿者: 管理者

日時: 2024年2月 2日 14:35