2024.02.10

政治

【政治とカネシリーズ⑧不平等を是正】政党助成金は新人・野党・広大な選挙区に傾斜配分 -政治への寄付文化のない日本は当分の間公費で不平等是正するしかない-24.02.10

<寄付で名前が出るのを嫌がる本当の理由>
 政治を支えるなら、政党なり個人に寄付を正々堂々としたらよいだけのことだ。名前が出されるから嫌だなどという寄付や献金ならばしなければよいという意見もある。日本は、アメリカの大統領選に見られるファンドレイジングのパーティーと違い、政治に対する寄付があまり行われてきていない。政治家が今回の例に見られる通り、あまりにもでたらめだからというのが大きな一因である。ただ、これは時間をかけて直していかなければなるまい。

 ただ、個人なり企業なりが特定の政治家や政党をあからさまに支持していることを知られたくない気持ちはわからないでもない。若干違うが、ポスターの掲示を断られる時によくあることは、「篠原さんは支持しているが、それを近所の人たちに知られるのは勘弁してくれ」というものだ。特に客商売の人たちは、皆がお客なので気を遣う。だから、どこに線を引くべきかという合理的理由はわからないが、5万円を超えれば名前を明らかにし、それ以下は公表しないというのは、一つの区切りかもしれない。
 恐ろしいことだが、野党議員の中にも匿名性の維持にこだわるものが多くいる。理由は献金者が知れると、与党側から圧力がかかるというものだ。更に、住所まで政治資金収支報告書から知れてしまうことから、他の様々な寄付を集めている団体からも寄付を要請されるという。
 政治とカネにはこのような問題もつきまとう。

<神社・仏閣・公民館の建設と同じく政治にも寄付の文化を根付かせる>
 寄付は神社仏閣や地元の公民館、公会堂では日常茶飯事のことであり、お祭り時など、高額寄付者から順に紙に書かれ、提灯にも書かれて皆にわかるようになっている。また、神社の建て替え時には、階段の横には寄付者の名前が彫り込まれている。こうした風土があるのだから、政治も少し工夫をしたらいいのではないかと思う。宏池会の20年分で見ると、パーティー収入1億6,428万円(不記載訂正後)のうち名前がわかるものは1,914万円(11%)にすぎない。また、22年のパーティーでは清和会では9,480万円の収入のうち購入者が明らかなのは41の企業団体の2,218万円(23%)にすぎない。このように政治とカネには匿名性が付きまとっている。
 例えば、地元では毎月1万円ずつ寄付をして、権威ある政治家の後援会の一員として認められることが、一人前の企業として認められたことになり、寄付が広がっていくといった例も見られる。つまり支持を隠したい人もいれば、表に出したい人もいる。日本政治には両方を受け入れる仕組みが理想である。

<企業の献金が社会貢献と言うなら野党にも献金してほしい>
 経団連 十倉会長は、企業の政治献金は一種の社会貢献と説明するが、真実は金で政策を誘導するのと同じである。自民党は金で政策を動かすことを、格好よく弁明しているにすぎない。私は企業と政治家の接点をなくせとは言っていない。節度を持つべきだ、献金するなら正々堂々と公開してやるべきだと言っているにすぎない。そして、社会的貢献というなら、資金がない野党にも政治献金をしてほしいものである。権力を握り、何でも自由に操れる政権与党にのみ献金するのでは、メリットのある党にしか出さないと見られても仕方あるまい。長年にわたりパーティー券を購入して与党を支えてきたのは経済界である。キックバックを温存させてしまったのである。本当に社会的貢献をするなら、この先5年間にいかがわしいシステムを改善しない限り自民党には献金しないのが筋である。つまり、自分に有利な政策は捨てても、資金を断ち切ることで政界を浄化できるのだ。
 政治献金を汚いと決めつけ、禁止すると前述のとおり民主主義を危うくする。今回のキックバックのような法律違反と企業献金の是非を分ける必要がある。つまり、自分たちの政策実現のために政治家や政党に寄付・献金するという形はあってしかるべきなのだ。

<政党助成金は野党に傾斜配分>
 ベストは政党助成金の傾斜配分である。今は単純に議員数と得票数で按分されている。それを野党に圧倒的有利に配分することだ。極端なことを言えば、寄付とパーティーでいくらでも金を集められる与党には回さなくてもよいくらいかもしれないのだ。日本では議員定数も何とかの一つ覚えのように人口だけで決め、地方の代弁者が激減する傾向にある。そして、高名な学者も、日頃弱者の味方を力説する野党も、都市部の反発が怖いのか、この盲点を見て見ぬふりをし、ダンマリを決め込んでいる。そしてこのことが、政党助成金にも適用されている。日本の政治の歪みをなくすためにも、弱小野党に手厚く、そして野党第一党にも与党と同額の政党助成金を配分するといった大胆な手法がありうるのだ。詳細までは知らないが、イギリスでは実行されているという。

<党内では、新人特に女性新人に手厚くするなど工夫が必要>
 次に残るのが党内の配分である。立憲民主党は一律1,000万円になっている。ただ選挙等資金は女性を優遇している。こうしたことを選挙時だけでなく、議員になってからも毎年の政党助成金配分でもっと大胆にやればいいことである。例えば、今取り沙汰されている派閥のパーティー券売りのノルマは、当選回数と大臣経験等が加味され、ベテラン議員に多く配分され、桜田義孝はそれが嫌で派閥を離脱している。それを逆に配分の時にもすればよいだけのことだ。

<面積の広い選挙区にも、政治活動費を傾斜配分>
 出費はどこの選挙区でも同じだと考える人が多いが、全く違う。私の親しい同僚議員の松木謙公は、今は北海道で一番小さい札幌市中心の2区だが、2003年の初当選以来、オホーツク海に面した北海道12区で、広さは四国に匹敵すると誇っていた。しかし、広さは議員には過酷である。週末中心で、それほど地元滞在日数は多くないにもかかわらず、松木車の年間の走行距離は、10万kmを超え17万kmの時もあったという。自動車整備工場は、本当かと目をひんむいてびっくりしたという。かつて愛知県の某同僚議員が桁外れのガソリン代で問題となったが、松木がガソリン代に充当する費用は半端ではなかった。(最近のTVで同じ12区の武部新(自民党)を取りあげ、ガソリン代が年600万円、事務所数ヶ所で政治活動費約9,000万円と紹介していた)
 それに対して、河村たかし元議員(私の初当選時の隣室)は、先輩ぶって、自転車での地元活動を教え込んだ。私がいくら山の中ではそんなことはできないといっても、車に自転車を載せて行って、平らになった集落で自転車に乗れと一方的だった。そこで、坂道にポツーンポツーンと家が点在する栄村に応援に来てもらった。さすが坂だらけの集落道を目にして、「日本も広いのぉ。いろいろ違うもんだ」と観念した。
 河村の愛知1区は端から端まで行って数km。一方松木の北海道12区は、稚内から知床まで600km。しかも、稚内-北見間は経済交流もあまりなく、ただただ人口が合算され一つの選挙区になっているだけ。地域の実情など何も考えていない安直な調整しかなされていない。松木は、私が応援に行った際、「この道路を走っているのは、松木車ばかり。たまに武部車(相手は武部勤議員)」と苦笑していた。また、街宣車を走らせても、有権者よりも、投票権のない牛の方が多く聞いていると嘆いた。加えて、だだっ広い選挙区に事務所をたった1つだけ置くわけにはいかず、その地区を重視している証に、6ヶ所の事務所や連絡所を置かざるをえなかったという。あちらを優遇していると言われないための気遣いである。これでは際限なく金がかかる。

<面積要件も加味すべし>
 こんなことは、気の利いた政党幹部なら、広さに応じて選挙資金を松木に傾斜配分してもいいはずだが、そんな配慮はされたためしがない。幸い、松木は金持ちなので(?)耐え忍ぶことができたが、今は逆に北海道一小さな北海道2区に移封されている。松木には狭い都市部の選挙区と、膨大な金と手間がかかる広い選挙区の差がわかっている。
 誰も気が付いていないと思われるが、JRパスでは青森の議員も千葉の議員もタダで、遠くのものが優遇される形になっている。つまり、移動の料金はタダにして、活動は平等にできるような仕組みになっているのだ。
 交通費を実費で賄うようにしているならば、調査研究広報滞在費にちょっとした工夫をしただけで改善できる。常日頃の活動費は、愛知1区と北海道12区は大差をつけて後者に多く配分していいはずである。特にガソリン代が高騰を続ける今は実感としてわかるのではないか。つまりJRパスや航空運賃で平等な活動を保証するというなら、それよりももっと大事な交通費(ガソリン代)は、面積に応じて客観的に配分してもいいはずである。
 そんな細かいことまで気にしていられない、という人が大半だろう。それに、今はオンライン会議もあり、リモートワークもある。何も顔を直接見なくとも、と言い出す人もいようが、政治はやはりface to face、濃密なタッチが必要である。

<定数是正にも面積要件が必要>
 結論は、定数に国土面積も入れることだ。特に「国を守る」ことを強調される皆さんは、この点を力説してもいいような気がするが、とんと聞こえてこない。過疎が進み、日本人が誰も住まなくなったら大変である。国土防衛のためにも、国境近くには人に住んでもらわないとならない。そしてその選挙区は1人を都市部の5人分ぐらいに数えて手厚く遇する必要がある。

 東京都に5つの選挙区を増やすといった愚かなことはやめ、オホーツク沿岸を3分割して、選挙区を2つ増やしていくといった発想の転換が必要だ。

投稿者: しのはら孝

日時: 2024年2月10日 15:18