2024.03.18

環境

熊を救い人の命を守り自然を残す -人間の横暴を戒め熊の居場所を確保し人里への頻出を減ず-24.03.18

 2023年の熊による人的被害は197件、218人が被害を受け、6人の死者もでており06年以降最多となっている。長野、富山の死者は10年振りである。秋田の市街地にも出没(アーバンベアと呼ばれる)し、70人が被害を受けている。かつては夜にしか人里に現れなかったものが、人を恐れない熊が出現したのである。牛を66頭も殺し恐れられていたヒグマOSO18が殺処分され、TVでドキュメンタリー番組が放送され、否が応でも国民の関心を呼んだ。伊藤環境大臣は2月8日専門家の提言に基づき、4月中にも熊を指定管理鳥獣に指定する方針を表明した。

<熊には二ホンジカ、イノシシと異なる対応が必要>
 指定管理鳥獣は2015年に二ホンジカ(約300万頭)とイノシシ(約70万頭)が指定されている。増え過ぎが問題視され10年で半減することを目標とされたが未達成であり、5年延長されることになっている。捕獲等の事業計画に基づき都道府県に交付金が出ることになるが、熊は前二者とは異なり生息数はずっと少なく、ツキノワグマは約4万3000頭、ヒグマは過去30年間で2倍に増えたとはいえ1万7000頭にすぎない。また、熊の繁殖能力も前二者とは異なり、1回に10匹近く生むイノシシと異なり、6歳以上が多くとも2年に1回、冬眠中に1~2頭(ヒグマは1~4頭)生むだけで、寿命も20年程度にすぎない。だからやたらと捕獲して減らせば済むというものではない。従って、捕獲等の事業計画もずっと複雑になり、総額25億円ばかりの交付金で万全の対策が打てるわけではない。熊に合った新たな仕組みが必要である。

<保護と捕殺の両方により人間と共生>
 熊は何よりも人命にかかわる。指定により夜間銃猟も許されることになるが、猟師の6割以上が60才以上である。更にOSO18でも秋田に出没した危険なアーバンベアの処分に対して苦情も寄せられ、狩猟者も空しい気持ちにならざるを得ず、猟師の確保は厳しい雲行きである。
 熊は世界に8種60ヶ国におり、日本にはツキノワグマとヒグマの2種類だけが棲息している。日本の昔話でも金太郎は熊にまたがってお馬の稽古をしていたし、世界でもぬいぐるみのテディベアや熊のプーさんに代表されるように世界中で愛される動物である。フィンランドではビールの名前(カルフ)にも使われている。捕獲を進めるにしても、個体数を大きく減らすことは許されない。人間との棲み分けが必要であり、ただ減らせばいいというものではない。なぜなら、九州のツキノワグマは過度の捕獲により絶滅しており、四国も僅か20頭ばかりが残るだけで絶滅の恐れがあるからである。2020年にはツキノワグマは約6100頭、ヒグマは860頭が捕殺されている。そこに前二者とは全く異なる問題が内在している。

<狭い日本では棲み分けしかない>
 1977年アメリカ留学中の夏休み、カナディアン・ロッキーにbackpackingに行ったところ、山道で大きな熊と遭遇し、私も熊も両方が驚いて逃げたという恐ろしい体験をした。観光パンフレットには、This is bear country. You should behave only a guest. (ここは熊の国。客として振るまえ)と書かれていた。ところが狭い日本では、住宅地や農地が熊の居場所を大きく浸食してしまったのである。つまり熊との距離はずっと縮まってしまったのだ。知恵を出して共生を考えなければならない。
 まずモニタリング、すなわち個体数の把握が必要だが、6府県は未調査だという。三重県などは1984年の数値しか持ち合わせていない。モニタリングには時間がかかり、まずは人材の育成確保が必要である。
 知床では個体識別をし、どの熊がどこに何回出没したかを記録している。今はGPSもある、それを定着させて行動も把握することが可能である。人への警戒心を教えるため、ゴム弾や唐辛子スプレーで追い払うなど工夫がなされている。それでも人里の味を覚えた熊は、残念ながら学習放獣(山に戻す)するわけにはいかず、人里に数回現れる常習犯は悲しいかな殺処分されている。熊は記憶がよく、また母から子熊へ伝承も行われ一度でも人里に来た熊は再び戻ってくるという習性があるという。今やGPSで常習犯の特定が可能であり、人里に現れる熊は特定できることになる。

<北海道と長野の先行事例>
 長野県軽井沢のNPO法人ピッキオは1998年以来電波発信機を装着させ、ベアドッグで人間の怖さを学ばせ、学習放獣して被害を減らしている。長野県では錯誤捕獲した熊は放獣しているが、その際に調査したところ、295頭のうち人里の食べ物を食べた熊は4頭だけであり、人里には依存していないことがわかった。こうした4頭を生まないようにする工夫が必要である。
 捕獲せず、人間の恐ろしさを教えるために追い払うというが、命の危険も伴う。プロが必要であり、交付金も半端な額ではやっていけないだろう。肝に銘ずべきは、捕殺は最後の手段だということだ。 
 他に生ごみを残さない。収穫しない果物等を残さない、農家の庭先の柿を残さない、隠れる場所を減らす下草狩り、電気柵の設置等通常の鳥獣害対策も有効である。つまり境界線を明らかにし、人間に近づけないことである。
 しかし、根本問題は、中山間地域の過疎化、高齢化により上述の措置がとれないことなのだ。農業の衰退により耕作放棄地が激増した。中山間地の住民が極端に減少したことが熊被害をもたらしている。熊は嗅覚が犬の7倍も鋭い動物であり、人間がもっと多くいたらおいそれと人里には近づかない。雪深い長野新潟県境地方を描いた「北越雪譜」には、山里にはどこにも犬がいて熊や野生鳥獣を追い払う役割を果たしていたと記されている。野生動物は縄張り意識が徹底しており、犬のあちらこちらにした小便の臭いに遠慮していたのだ。しかし、これまた人間の勝手で狂犬病を恐れるあまり、日本は犬の放し飼いを一律に禁止し、山里から犬の小便の臭いも消えてしまっている。これも熊の頻出の一因でもある。
 2023年熊の被害が増えたのは、山のドングリ(ブナ、イヌブナ、ミズナラ、コナラ)が凶作だったからだ。ドングリ情報が熊の出没予測には必要である。

<熊に森の「居場所」を作り人里への「出番」をなくす>
 最後に一つ大事な対策が必要である。熊が人里になど依存せずに生きて行けるようすることである。詳細は花粉症対策についての別稿に譲るが、日本の山々はあまりにも人手が入り過ぎ、自然の様相を変えすぎているのだ。杉林がなんと444万haと日本の総面積3,700万haの10%を超えており、ブナ類に覆われていた雑木林が一変して人間に都合のいい杉、ヒノキ、落葉樹等ばかりになってしまっているのだ。戦後に植林した木が伐採期に入っており、年間5万haを伐採していく計画だが、その後は花粉飛散減少対策になるのだから人間に都合いい木ばかりでなく、その大半は雑木林との混交林(例えば10m人工林、10m雑木林とする)とすることである。つまり熊や野生動物の暮らせる森の復活である。山に食べ物があれば、熊は里には下りて来ない。
 日本人に「居場所」と「出番」を作るというのが、立憲民主党の目標であるが、熊には森に「居場所」を作り、人里への「出番」をなくすことである。

<熊にドングリの森を提供する>
 2023年はドングリが不作で、熊の人里への出没が多く、被害も過去最多に達し人的被害218件、死者6人に達している。こうした中で雑木林ができれば熊も人里に降りて来なくてすむようになる。つまり棲み分けをすることである。そもそも人間が自分たちに都合のいい、杉、ヒノキ、カラマツばかりを植えて、日本の気候・風土に合った木々を蹴散らしてしまったため、餌が少なくなって森に居づらくなったのだ。それを元に戻すだけのことである。

 日本は国を挙げて森林を有るべき自然の状態に戻すことを考えなければならない。そうすることが土砂崩れなどの防止にもつながるのであり、一石二鳥なのだ。

付論:熊は森林生態系の守り神
 熊は実は生体系の維持にとっても欠かせない大切な役割を果たしている。
 地球上のものは万有引力の法則に従い、放っておくと下へ下へと移動する。陸上の土も栄養分も雨が降り川に流れ込み海に注ぎ、海底深くに貯まっていく。つまり陸はやせ地になる運命なのだ。世界の好漁場は海底からその豊富な栄養が沸き上がってくる海域である。日本でいえば、親潮と黒潮がぶつかる三陸沖であり、植物プランクトン、そして動物プランクトンと食物連鎖が続く。それが魚の餌となり、我々人間の口にもとどくことになる。
 陸に海の栄養分を戻してくれるのに二つのルートがある。一つは魚を食べる鳥が陸地に糞で落としてくれる。もう一つは遡河性魚(anadromous fish)、鮭、鱒の類で、一生を海で過ごし河川で産卵し、死に絶える魚である。その死骸(ほっちゃれと呼ばれる)をまたたく間に食い尽くし、森の大地に糞の形で返してくれるのが熊であり鳥なのだ。
 アムール川にはダムは一つもなく、約100種類に及ぶ遡河性魚が自由に遡上している。だからシベリアの森林は豊かなのだ。一方、千曲川・信濃川でいうと、宮中ダムと西大滝ダムが鮭の遡上を妨げており、この大循環がここ数十年は途絶えている。従ってこのまま続けば、長野の山々は栄養分を失うだけなのだ。
 こんな心配をしている者は少ないが、長期的に見るとまずいことなのだ。もっとも人間のこうした自然破壊も長いタイムスパンでみたらほんの一時のことであり、この循環のために今熊を助けるべきだというつもりはない。しかし、SDGsの時代で、我々は地球全体の為に行動をしなければならない。
 それでは陸は数千万年後や数億年後は栄養分の少ない不毛の地になってしまうではないかと勘違いされる向きもあろう。私も上記の話を聞いた時はそう誤解したが、そんな心配は無用なのだ。プレートテクトニクスにより大陸は移動しており、いつか海の底が山の頂上になるのだ。つまり時間軸の問題なのだ。我々今に生きる人間がいて、1億年後のことはまだしも、100年後や1000年後の地球を、そして日本を考えて行動しないとならない。

投稿者: しのはら孝

日時: 2024年3月18日 16:22