エコを重視し持続性にこだわるパリ五輪に拍手を送りたい -遅れた日本は、東京オリンピックを奇貨として土建国家の再来という見苦しさ- 24.08.06
<21世紀の節約五輪>
パリ五輪の熱戦が展開中である。私は競技もさることながら、1991~94年の3年間住んだパリの街が次々と映し出されることにも興味持ってTV観戦している。
そこでパリの100年振りのオリンピックが東京オリンピックと比べると、全く正反対の方針に基づいて行われていることに度肝を抜かれた。環境を重視していることは知っていたが、ここまで徹底しているとは思わなかった。競技会場のうち95%は既存施設か仮設である。従来行われていた国ごとの選手村の入村式は廃止され、選手村では全くペットボトルは使われていない。マラソンの給水も紙コップをだという。オリンピックに限らず、〇〇大会には記念グッズが数多く作られるが、慣例となっていたメディア向けに無料配布される大会リュックもない。走る車はEVゼロエミッション、観客も移動は公共交通機関だという。
<観光地も有効活用>
日本が金2つ、銀1つと3つもメダルを取ったスケートボードの会場がコンコルド広場というのにも驚いた。パリのど真ん中の広場であり、交通の要路である。それを平然と競技会場にしているのだ。とにかくパリのありとあらゆる施設の中でやっているという。ビーチバレーはエッフェル塔の下、日本が団体で銅メダルを取った馬術はベルサイユ宮殿、旗手の江村でなく男子の加納虹輝が金メダルを取ったフェンシングは1990年パリ万博のために造られたグランパレ美術館と凝っているのである。観光スポットの宣伝をしていると陰口をたたく者もいるが、それはそれでいいではないかと思う。
金のかかりすぎるオリンピック、商業主義を出しすぎるオリンピックという批判がある中で、こうやったら節約できるんだという見本を示してくれている。
<芸術の都の粋な演出>
私はセーヌ川での開会式というというのにも心がウキウキした。いろいろな開会式も洒落すぎていて、他の国がやるとちょっと鼻につくけれども、粋なフランスがするとまさにピッタリで、感心する以外にない。そして歌と踊り、さすが芸術の都パリならではではないかと思う。ノートルダム大聖堂、ルーブル美術館、トロカデロ広場などで開会式は無料で20万人が楽しめたという。
こんなことを嘆いても仕方がないが、3年間パリで暮らした私からすると、こういうオリンピックなら見に行きたかったとつくづく思う。衆議院は常在戦場ということでとてもそんな余裕はないが、あとの祭りである。
<セーヌ川でトライアスロンという意気込み>
ただセーヌ川でトライアスロンの競技を行うということには驚きの一言だ。正直言ってパリの建物はキレイだが、セーヌ川はとてもではないがキレイとは言えない。道路には犬のフンが(今もそうだと思うが)落ちているのだが、下水道は大昔の設備で完璧なものではないため、未だもって道路の犬のフンが流れる下水の一部がセーヌ川に直行しているのだ。なので、川で大腸菌の検査をすると、基準値を大幅に上回るという。選手は、ドーピングに引っかからない程度に胃の薬をいっぱい飲んで参加するしかないと苦し紛れの冗談を言っているのが報じられていた。もっともなことである。
しかし、そういった批判にもめげず、イダルゴ・パリ市長は17日セーヌ川で泳いで見せている。1923年に遊泳禁止されたセーヌ川をきれいにすることがパリの悲願なのだ。アスリート・ファーストでないとこれまた批判が多いが、東京のように汚職にまみれて揉めているよりずっとましである。持続性を考えて新しいオリンピック像を造らんとしているのである。私は頑張れと拍手を送りたい。
<のんべんだらりの日本は3周遅れか?>
つくづく彼我の差に嘆かざるを得ない。東京の真ん中にそんな川は流れているだろうか。皆蓋をして、川のあった名残は日本橋、京橋といった地名に残るだけである。東京は皇居と新宿御苑、神宮外苑を除けば本当に緑の少ない首都なのだが、それよりも悲惨なのが都心に水辺がトンとない不自然な街になっていることだ。
我らが千曲川は、私が小学校に上がった頃(1950年代中頃)に遊泳禁止になっている。農薬、除草剤、下水で汚れまくっていたからである。千曲川は日本一長い川であり、かつ綺麗な山々を流れる小さな支流が集まっているのに汚れていて泳げない。途中に西大滝ダム、宮中ダムがあり、サケの遡上もストップされている。ヨーロッパ先進国なら、ダムはとっくに取っ払われサケは昔通り遡上し、あちこちの水辺では泳いだり、水遊びができるようになっていることだろう。ヨーロッパは年間降雨量が600mm、日本は3倍の1800mm、水にこんなに恵まれているのに、汚しまくって平気な顔をしている。
<土建国家の日本はオリンピックで一儲け>
最もひどいのはオリンピックの施設についての認識の差である。新国立競技場はイラン人の設計があまりにも強烈すぎてすったもんだして問題となった。都営霞ヶ丘アパートがあったが、それを取り壊し、そもそも風致地区で高さ15m以上の建物を建ててはいけないことになっていたところでありながらオリンピックを奇貨としてその規制を取っ払って高さ85mの新国立競技場を建てている。
それで終わりかと思えば、その後も神宮外苑の杜の木を切って、3つの大きなビルを建てるという。これについて私は既に4回もブログに書いているので繰り返さないが、全く先進国では考えられないことである。パリオリンピックは木を1本も切らずに開催するという目標を掲げ、実際にそれを実行している。イダルゴ市長はパリを緑の都市にと取り組み始めたが、オリンピックに間には合わなかった。それでも就任してから6万本以上の木を植え、2026年の退任までには27万本の木を植えると宣言し、着々と実行中である。
それに対し、日本はオリンピックという大義名分で普段できない乱開発が公然と許されてしまい、その乱開発は今も尾を引いている。日仏のあまりの格差に愕然とせざるを得ない。
<脱食品ロスも先行する美食大国>
フランスは2016年に世界で初めて食品廃棄を禁止する法律を作っている。広さ400㎡以上の大きなスーパーは、売れ残った食品を寄附するために慈善団体と契約を結ぶことが義務づけられた。
コロナ禍の大会とはいえ、東京では開会式のボランティア用の弁当(約80万食)が大量廃棄され、選手村のビュッフェでは175tの食品ロスが出たと外国のメディアも驚くムダが生じていた。パリは80%仏産(つまり地産地消)、大会開催中に1,300万食を用意するが、食品ロスを抑え、食べられなかった食品はフードバンクへ送られたり、飼料等として再利用される。環境保護変革委員会ができ、再利用可能なガラスのボトルしか使われていない。日本の「余れば捨てる」風潮と比べ何歩進んでいるのだろうか。人間の活動で最も汚染のひどいものの1つが食品関連であることに美食大国フランスは気がついたのだ。ここでもSDGsに向けて必死に取り組んでいる。
パリオリンピックで日本の選手がメダルを取れるかどうかというのは誰もが関心を持つことであるが、持続性を考えSDGsの時代のオリンピックをまさに実行していることについても関心を持ってもらいたいと思う。