半導体産業(TSMC、ラピタス)への過大な支援(10兆円)は異常 -地方創生を図るなら製材工場の復活にこそ充てるべきー25.02.27
<ニセモノだった農業過保護論>
今から40余年前(1981年)、経団連会長土光敏夫を会長とした第二次臨時行政調査会(第二臨調として一世を風靡)が開かれた。政府の無駄に切り込むといういつも繰り返されているブームの一つである。
そして今で言えばフェイクだといえるが、当時は日本の農業過保護論が跋扈し、財界がこぞって宣伝していた。地下鉄の階段の上にいかに日本農業が非効率かを列挙する小さな冊子が置かれていたほどであった。加えて経団連・経済同友会が数回にわたり農政提言を出していた。
<1980年代は日本の半導体が世界を席巻>
日本経済界は絶好調でアメリカの対日貿易赤字が580億ドルに達していた。洪水的輸出で外貨を溜め込む日本は世界、特にアメリカからは嫌われ、1980年代の世論調査ではアメリカのライバル・敵はソ連ではなく日本だと言われていた。
そして、経済界は農産の輸入拡大を生贄にして凌ごうとしていた。しかし、コメを全量輸入してもせいぜい30億ドルにしかならず、アメリカの対日貿易赤字の解消には程遠かった。
なかでも半導体は、1981年64kビットDRAMは日本が世界の70%を供給しており、1989年の上位10社のランキングに日本企業が6社を占め(1NEC、2日立、3東芝、7富士通、8松下、9三菱)、アメリカの4社(モトローラ、TI、Philips、Intel)を凌いでいた。半導体に限らず輸入先国の産業に打撃を与えるどころではなく、粉砕する勢いだった。
<国家の存立に必要不可欠なものをないがしろにする日本>
アメリカは何よりも軍事を最優先する。半導体は軍事衛星をはじめとして安全保障には不可欠であり、最低限の生産能力は国内に残さなければならないとの判断のもと、日本の半導体輸出に歯止めをかけてきた。
日本は有頂天になり、生意気になっていたのだろう。自由貿易の下繁栄をしたこともあり、ガット(WTOの前身)に従い次から次に関税をゼロにしていった。そして1993年ウルグアイラウンド(UR)が決着し、コメもこじ開けられ、総消費量の3%のミニマムアクセス(約77万t)を輸入することを押し付けられた。
<気が付いたら半導体不足、そしてコメ不足も直前>
しかし好景気はいつまでも続かない。1991年バブル経済がはじけて崩壊。それ以来今まで失われた30年間と言われる経済停滞が続いている。その間に農業・農村はズタズタになり、地方の過疎化・人口減少はとどまることを知らない。
<慌てて半導体工場に大量資金投入>
そして、世界を席巻した半導体も気が付いてみたら、国内生産は激減し、トヨタ等の自動車メーカーすら調達できなくなってしまった。慌てて台湾のTSMCに泣きつき、熊本県菊陽町に国が5000億円も拠出して工場を作ることになった。第二工場も建設され、合計2~4兆円の規模の支援が行われるという。
のどかな農村は降って湧いた大企業の進出に振り回されている。用地に水田を提供するだけでなく、残った周りの水田も冬期には水を張って地下水を涵養してくれといった注文も付いているという。半導体生産には液晶が必要であり、その生産にはきれいな水、一般的には地下水が必要なのだ。その廃液がまた自然に吐き出されると、汚染という問題がつきまとう。つまり、熊本に第二の水俣病をもたらすかもしれないという危険が付きまとっているのだ。
<行き過ぎるラピタスへの10兆円投入>
そこにIBMと日本が手を組み、25年調印、27年本格生産というスケジュールが北海道千歳市で進んでいるのがラピタスである。空港に近く、搬出も容易な好条件のところに、経産省が全面的に肩入れし、トヨタをはじめとする日本の主要企業8社も融資することになっている。
こうした政府による「産業の米」半導体支援が30年までに10兆円に達するという。いくらなんでも度が過ぎている。
私は2月7日、予算委員会の省庁別予算審議で久方ぶり(四年ぶり)に質問した折、このことを追求した。
<農業を切り捨て半導体を猫可愛がり>
今農水省予算は、2兆円強、その5年分を一企業に出すというのだ。農水省は一民間企業に補助することはない。グループなり団体でないと対象にならない。厚生省も同じ。国交省には、空港や港湾といった国の施設として重要なものには補助金を出しているが、規模が違い、せいぜい数千億数十億円である(資料「武藤嘉文、容治大臣時代の予算」参照)。
40年前の農業保護論に倣い、「半導体保護論」が日本のマスコミ中心に噴出していいはずだが、全く出てこない。あまたいる経済評論家も口をつぐみ声を発していない。URではガット(WTOの前身)農業補助金を信号よろしく赤・黄・緑に分け、農業生産を刺激するような補助は真っ赤な禁止すべき補助金とした。しかし、今やWTOにはかつての面影はなく、大国(日本もそのひとつ?)は勝手し放題である。30年前ならトランプ大統領の関税引き上げは、WTO違反として直ちにパネルに訴えられることころである。
<経済大国主義のなれの果て>
皮肉を言えば、産業のコメを大事にする一方、本物のコメはガタガタである。別稿に譲るが、一言で言うと米不足はいずれ恒常的になると思う。ずっと農業をそしてコメをいじめてきたからである。
日本経済の起死回生に半導体が必要というのはわからないでもない。日本の産業界、経産省は自らの力を過信し、半導体も競争原理に任せ、国を支える産業という意識もなく他国への生産流出も放置して来てしまったのである。私が今力を入れている石橋湛山の言葉をもじれば、日本は経済大国主義に陥り、大きな間違いをしでかしたのである。
食べ物のみならずあらゆるものは最終消費地の近くで生産するのが一番理に適っている。安全保障を考えても、必要最小限のものは国内生産を確保するのが生き残るためには不可欠なのだ。つまり、私の造語を用いれば、地産地消こそ望ましいことなのだ。
私は民間企業への支援が許されるなら、今恐ろしい速度で進む地方の過疎化・人口減少に歯止めをかけるには、日本の7割を占める山・森林を活用するべきだと思っている。
勤勉な我々の父母、祖父母の世代は、戦後の疲弊した山々にせっせと植林してくれた。今それが十年ほど前から伐採期に達している。ところが、急激な斜面という悪条件に加え、木材価格が低迷し、木を伐っても赤字となる状況であり、折角の木も放置されたままである。
<製材工場の衰退は地方衰退の象徴>
そこに追い打ちをかけたのが製材(木材)会社の衰退であり、製材工場の消失である。仮に伐採しても、近くにあった製材工場が今はなく、重くかさばる丸太を遠くに運ばないとならず、SDGsに反してCO2排出量が増え、余計にコストがかさんでしまう。つまり木の地産地消ができないのだ。
日本の製材工場は、1960年には24,229、1990年には16,811だったものが今やわずか3,749と60年比15.5%、90年比22.3%に減ってしまっている。
私ごとで恐縮だが、私の地元の長野電鉄信州中野駅前には、私の幼少の頃、つまり数十年前は、材木が山と積まれていた。それがいつの間にか見なくなって久しい。高社木材、竹原木材、中沢木材等、製材会社は私を含め誰もが知っていた。
<ラピダスの100分の1(1000億円)を製材工場の復活にかける>
前述のとおり、農林水産予算は1979年は3兆5千億円で、総予算の8.97%、1990年には3兆1千億円 4.7%だったものが今や、2兆3千億円 1.9%に過ぎない。一方で、円安下の燃油価格補填に8兆円、そして半導体に30年までに10兆円を費やすという。ラピタス等への補助金の1/10の1兆円とまではいわないが、1/100の1000億円を地方の製材工場の復活に充てるならば、地方に雇用が生まれ、地域資源(材木)が有効活用され、人口増、地方経済の活性化につながるはずである。
石破茂地方創生の強力な手段の一つは、日本にある数少ない再生資源・木材の有効活用なのだ。