【私立高校無償化シリーズ①】矛盾だらけの私立高校の授業料無償化 -日本の地域社会の絆を潰すことになるおそれあり-25.03.20
私立高校への助成問題は、日本では単なる支援・助成としかみられていないが、実はフランス保革の間では長い確執があり、国家を二分する大論争を呼び今も続いている。私は日本のあまりに安直な解決に呆然とした。日本の根幹を揺るがすことにもなりかねないので、日本の見苦しい結末、フランスのミッテラン大統領時代の論争、フランスと日本とを比較した日本の教育改革等について3回に分けて報告する。
私立高校への助成問題は、日本では単なる支援・助成としかみられていないが、実はフランス保革の間では長い確執があり、国家を二分する大論争を呼び今も続いている。私は日本のあまりに安直な解決に呆然とした。日本の根幹を揺るがすことにもなりかねないので、日本の見苦しい結末、フランスのミッテラン大統領時代の論争、フランスと日本とを比較した日本の教育改革等について3回に分けて報告する。
<打算だらけの私立高校授業の無償化>
高校の授業料無償化は、民主党政権の時に導入したものである。公立私立に関わらず年額11万8800円、年収590万円未満で私立に通う場合は、更に27万7200円(合計39万6000円)の支援があった。それが自公政権になり、年収910万円未満という所得制限が導入され、今日に至っていた。私の感覚では所得制限を設けるほうがまともだったと思っている。
それを維新の前原共同代表が所得制限の撤廃と私立高校までの無償化に拘り、そこに衆院38名の維新を抱き込んで、是が非でも予算を通したい自公が乗ることになった。熟議とは程遠い打算だけのやり取りで、自公が維新の要求をほぼ受け入れ、予算も通ることになった。25年度から公立私立に関わらず所得制限なく11万8,800円が支給され、僅か1,064億円(のみ?)の追加負担が生ずるだけである。26年度からは、私立高校向けの上乗せ分を増して、上限を全国平均の45万7千円まで引き上げることになった。これには約5000億円が必要となる。しかし、国民民主党の103万円の壁の7~8兆円と比べると、10分の1以下の予算でできることになる。つまり富裕層が優遇されることになった。
先行する大阪では私立高の平均の63万円まで支援し、東京でも24年度から所得制限をなくし、48万円としていた。金持ちの東京都、大阪府と他の府県とは大きな差が存在していた。
<日本はフランスより私立高校が多く、都市部に偏る>(別表「直近(2020~22年)の私立中等(日本の高校)の生徒数の私立の割合.pdf」参照)
学校基本統計(2024年5月)によると、日本の4,774の高等学校のうち、国公立(72%)、私立(28%)、生徒数は293万人中、国公立(65%)、私立(35%)である。主要国(米英仏独中韓)の生徒数でみると、日本の私立の割合は韓国の41.2%についで高く、フランス(21.2%)を10ポイント近く上回り、最低のイギリス(5.6%)の6倍となっている。日本の内訳をみると都市部と地方の差が際立っており、私立高校は、東京218、大阪94と全国の約1/4が集中している。一方、地方には例えば徳島2、秋田5と私立は数少ない。さもなくとも都市部と農村部に格差がみられるのに、私立高校の無償化は地方にはメリットがほとんどなく、豊かな都市部の私立の授業料に税金が投入され、不公平に拍車をかけることになる。
<日本の見苦しい私立高校助成の決定>
高校に99%も進学する日本は世界有数であり、義務教育としても何らおかしくない状況になっている。フランスでは義務教育期間が以前は6歳から16歳だったものを2019年ブランケール国民教育・青少年大臣により3歳から18歳(成人)までとなった。17歳から18歳までの2年間はニートの若者に対して教育・訓練の機会を保障することとしたのである。
高校の授業料の無償化は子育て世帯の負担軽減に資することは間違いないが、一方で後述するように数々のデメリットが予想される。
日本ではこのような案件は密室で決められることが多いが、今回は維新のパフォーマンスでこれでもかこれでもかと報道された。しかし、どのような薄っぺらな(?)熟議が行われたかが、国民には全く見えてこない。それこそデタラメな政治決着でしかない。そこには、後述する私立への国家の介入を避けるというフランスの私立に見られる理念はひとかけらも見られず、またミッテラン大統領が行ったような政治のリーダーシップも発揮されることはなかった。
<公立離れ等課題は山積>
いち早く私立を含む高校の授業料の無償化を始めた大阪では、すでに24年度には公立高校の約半数で定員割れが生じている。更に25年入試では全校の平均倍率が1.02倍と史上最低になった。東京でも25年の入試倍率は1.29倍と1994年以降最低となっている。
このように受験競争の激しい都市部では、私立の無償化は公立離れに更なる拍車をかける。中高一貫の私立高になびいていくだろう。私立の方がお金があり、設備が充実しているのが一般的だからだ。そして、公立がないがしろにされ、荒廃が始まる可能性がある。首都圏の有名大学への進学で売る中高一貫校も無償化の恩恵に浴する。中学から私立に行けるのは富裕層に限られるが、そこでも高校からは無償化になる。何かチグハグである。その結果「私高公低」の傾向はますます強まるに違いない。
<地方の絆を分断する蟻の一穴になる恐れがある>
これが有名な中高一貫私立校のある地方の中核都市にも波及していくのに時間はかからないであろう。この異常な現象は、かつて小・中と皆が同じ学校に通い、高校も大半が見知った者で占められ、人々の絆ががっちりしていた日本の強固な地域社会に分断をもたらす恐れがある。この危険性に気付かないのは為政者として失格である。私は今回の何気ない決定が、かつて日本を支えてきた強さの根源を失うことになりかねないと危惧している。
<現下の教員不足や塾経費増大に拍車>
公立高校のみならず、小・中学校でも教員数が減り、習熟別の授業などに手が回らなくなり、質の低下が生じるだろう。また、せっかく減った授業料の負担が、塾代等の学校外経費に回るという悪循環も予想される。一部の私立では補助があるのだからと、授業料の便乗値上げが生じるかもしれない。それよりも何よりも日本独特のいじめや不登校の問題も対応が遅れている。
かつて(1967年)東京の過剰な受験競争を避けるため学校群制度が導入され、15歳の高校受験競争はいくらか緩和され、かつて名門として君臨していた日比谷高校の権威は急降下した。これにより都立高校の進学実績が低下したと言われている。それとともに15歳の受験競争が12歳の中学受験へと低年齢化し、受験に失敗して15の春で泣く者が12の春で泣かされることになり、子供たちにとってはより残酷な状況を生んでしまった。今回、少なくとも都市部では、中学受験を目指したより熾烈な受験競争が行われることになるだろう。
現下の教育問題が、高校の無償化の所得制限の是非や私立高校への助成にあるのか甚だ疑問に思う。最も緊急の課題の一つは、全国各地の小中高等学校の教員不足である。私の地元長野県では、かつて民間企業が少なくて地元の就職先として学校の先生が際立っていて、教員希望者が多く採用の倍率も高かった。それが、今は働き方改革といった掛け声は聞かれるものの、過酷な労働と低報酬で教員のなり手不足が顕在化している。
今回の高校無償化の終結には、後述するミッテランの英断は皆無であった。あざとさが目につき虚しさが残っただけである。