2025.03.21

【私立高校無償化シリーズ②】30年前決然として私立校への助成を拒否したミッテラン大統領 -私立校の授業料無償化はフランスを二分した論争が起こした-25.3.21

<フランスの教育の自由と国家の介入の確執>
 フランスの教育界には、国家の教育への介入を巡り長い論争の歴史がある。
 17~18世紀、日本では江戸時代、寺子屋や武家屋敷が教育の中心だった頃、フランスではカトリック教会が教育界を支配していた。それに対しナポレオンは教育を国家権力の支配下に置くことで教育制度の確立に大きく貢献した。これに対して教会側は国家支配からの自由を主張した。
 こうしたことを背景に1850年ファルー法で中等学校(11~17才、日本の中学・高校にあたる)の国の助成は、各校予算の10%までと制限された。また1886年にはゴブレ法で初等教育への助成は全面禁止された。この頃まではフランスでは、裕福なカトリック系の私立学校が政府の介入を嫌い、独立を保たんとする矜持が勝っていたのである。それ以来ずっと国家の干渉とその監視や支配からの自由という長いせめぎ合いが続いていた。

<ミッテラン、シラクの2人の大統領を巻き込んだ教育改革>
 近年では、第一期ミッテラン大統領の下1983~84年のモーロワ内閣(社会党)は、私立の公立への統合、つまり国有化をしようとしたが、百万人の抗議デモによる反対もあり断念している。1986年には、シラク内閣(共和国連合)が産業近代化に必要な資質向上と制度改革のため、高度教育改革法を通そうとしたが、これまた学生を中心に百万人デモで抵抗され失敗している。
 日本はその点幸せな国(?)である。少なくとも大学は最初から国家にすぐ役立つ学部である工学部や農学部が重視され、社会科学系の学生数はずっと少ない。明治以降欧米に追い付き追い越せば、欧米の技術と学ぶことから始まった名残があるが、今本連綿と続いている。また高校もいまでこそ大学進学につながる普通科が増えたが、かつては大半が職業高校すなわち工業高校、農業高校、商業高校等であり、今も甲子園出場校に名残がある。それに対して、フランスでは大学はあくまで基礎学問を学ぶ場であり、自然科学系でも理学部が中心である。より実写樹脂のアメリカやイギリスでも、工学部が日本ほど巨大ではない。

<30年前のフランスで国論を二分した私立校への公的助成金問題>
 私がパリのOECD代表部に勤務した後半1993年から94年にかけてフランス政界を揺るがしていたのが,ファルー法改正案である。私立中学校への助成を10%に抑える規制を撤廃し、地方自治体の自由裁量に任せる改正法案第2条が含まれていた。今まで国家の介入を嫌って独立を保っていたが、施設の整備などには金が必要であり、背に腹は代えられなくなってきたからだ。
 同法案は1993年6月、下院(国民議会)で可決されたが、上院(元老院)では可決に至らなかった。秋の臨時会の会期末、保守政党は改正案の可決を求めたがミッテラン大統領が拒否して成立せず。ところが、その後12月の常会で法案が徹底審議の上、抜き打ち的に採決され、可決された。

<ミッテラン大統領が決然と拒否>
 この時は大統領(当時任期7年の2期目の後半)と内閣が違うコアビタシオンという状況だった。それまでミッテラン大統領は、異論のある場合でも定例閣議の席上「保留」を示す程度で対立を避けていた。ところが、この時はバラデュール内閣の提案方法や審議の仕方を厳しく批判した。ミッテラン大統領は、それに対し、「過去35年間の政治生活で、このような短期間の審議採決は経験がない」と怒りを露わにした。金に余裕のある者は子どもを私立に行かせるのは自由だが、そこに助成する必要はないという姿勢が一貫していた。
 面白いことに私立を公立に吸収するという左派の案も私立への補助金を拡大するという右派の案の両方とも、百万人の反対デモにより実現しなかった。大統領が内閣の方針を公然と批判したのは、内閣発足以来初めてで、コアビタシオンにもヒビが入りそうな雲行になった。このように私立中等教育への国家助成は、火中の栗を拾うようなものであり、それが故に失敗の経験のあるシラクは、次の大統領選を意識して口をつぐんだ。なお、シラクは1988年の大統領選挙でミッテランに敗れていた。

<中等私立への助成に違憲判決>
 その後、社会党議員が憲法評議会(Council Constitution 憲法院)に違憲訴訟を起こし、1994年1月13日、問題の2条を、①私立には義務なしで高額補助は私立優位になってしまう②私学内でも格差ができる③そして何よりも公立私立で法の下の平等に反する、として違憲とした。国民の反応は素早く、1月16日、ファルー法の改正反対、公立高校擁護のデモ行進が行われ、バラデュール内閣は同法改正を断念せざるを得なかった。教職員組合、労組、父母の団体など7万人がパリに集結し、その様をマスメディアは「津波」、「大河」と表現した。
 だからといってフランス政府が私立校を全く支援しないという冷たい態度はとっていない。なぜなら、フランスは憲法で国民のすべてに平等の教育の機会を与えなければならないと決められているからだ。教育の根幹は小学校から大学までを原則として無料で貫かれている。
 そうした中、フランスの優秀な官僚が生み出したのが、私立校と国との契約である。公認(国と契約した私立校)と契約をしない私立校に大別される。後者は、何の義務も負わず、自由なカリキュラムで学校運営が行われるかわりに国からの財政支援はない。ただ、今は大半(94%)が契約校である。
そして契約校は、さらに協同契約校と単純契約校に分けられる。契約校は、協同と単純に関わらず、教員給与は国より財政支援が行われ、処遇は同等である。協同契約校は授業料を徴収してはならないとされる。協同契約校には、国と市町村から公立校と同等の財政支援が行われるが、単純契約校には、国の財政支援はなく、市町村が一定の財政支援をするだけである。ただし、施設整備の類は、私立校の不動産となってしまうことから支援から削っている。
 その代わり、契約校は、国の定める学習指導要領に従う、入学の差別は行わない、正規の授業時間には宗教教育を行わないなどの一定の義務を負うことになる。そして財政支援の割合に応じて、教育内容や施設整備等について国の監督を受けることになる。つまり、金を出すから口も出すのだ。
 日本ではよく理解されないと思うが、17世紀以来の論争の名になっている宗教教育はしないという教育のライシテ(世俗化・政教分離)(ライックともいわれる)は厳しく守らされている。

<フランスの見事な私学助成の仕組み>
 ここで気付くことは、1980年代に保革の大論争になって、双方とも100万人デモで実現できなかったことが、両方とも見事に実現されていることだ。左派モーロワ内閣の義務教育の国有化は「契約校」の仕組みでほぼ公立校と同じとなっている。また一方ミッテランが厳然と突っぱねた私立校への助成は、職員給与だけは国が助成することで、パラデュール内閣の方針も実現しているのだ。
 神経を尖らす宗教教育についても、正規の授業時間外なら認めるとして、保守的なカトリック系の私立校も満足できるものになっている。つまり、両方を立てたバランスのよい仕組みとなっている。かくして、フランスの私立校は外国人、女性、低所得者も受け入れ、今風に言えばインクルーシブ教育の受け皿になってきたのである。
従ってしばらくは波静かで、30年後、私立校の割合がわずかだが増えている。理由は日本と同じく学業レベルの低い公立から逃れる、宗教観・価値観に魅かれる等である。揉め事の解決策を考えだすフランスの官僚の知恵にはほとほと感心させられる、
 
<イスラム系私立校との難問>
 2000年前までは目立った動きはなかったが、フランス国内に600万人(人口の約1割)はいると言われるイスラム教徒が私立校を設立し、このいくつかがイスラム教育をするなどの契約違反をして、物議をかもすようになった。2004年には公立校でイスラム教徒の女子生徒がヘジャブ(スカーフ)を着用するのを禁ずる法律が施行され、着用を止めない女子生徒が退学させられている。更に最近は名門イスラム校アべロエス校をめぐり法定紛争(?)も起きている。欧州に吹き荒れる右傾化の波や移民排斥からイスラムのテロへの恐怖につながり、マクロン政権もフランスの共通価値観の維持を優先し、イスラム校に対して強行措置をとらざるを得なくなっている。この問題は、日本の朝鮮学校の扱いといった問題とは根深さにおいて格段の差があり、ややこしいのでここでは詳述は避ける。

投稿者: 管理者

日時: 2025年3月21日 10:45