2025.05.24

経済・財政

【トランプ関税シリーズ②】【令和の米騒動シリーズ②】 日米交渉では農産物の輸入自由化で譲ってはならず - アメリカの狙いは対日貿易赤字(685億ドル)の実質的な大幅な縮小以外になし 25.05.24 -

<繊維産業に始まる日米通商交渉>
 アメリカは1971年に初めて貿易が赤字になった。日本が輸出を急拡大してきたのが一つの原因だった。特に日本からの繊維製品の輸出により、南部の綿花地帯、繊維産業は重大な影響を受けていた。ニクソン政権は、日本の輸出しすぎを止めようと圧力をかけてきた。

 時あたかも沖縄の返還時期と重なった。大事な時にアメリカのご機嫌を損ねるわけにはいかなかった。時の通産大臣は勢いが最もあった頃の田中角栄。田中は、返還を急ぐ佐藤栄作総理の要請を受け入れ、繊維産業に生産抑制を強いた。非常に荒っぽいやり方で、当時の通産省予算の半分に当たる2000億円をかけて、古い機械を潰すごとに助成金を支払った。このあと船舶業界の構造改革の見本となり、後に私が担当することになった、漁船の「減船」(200海里で締め出され操業ができなくなった)のひな型となった。
 自由貿易の旗手アメリカが方針を変更した第一歩だったかもしれない。繊維産業を差し出して、沖縄返還を勝ち取ったことをマスコミは「糸で縄を買った」と揶揄した。

<いつも工業製品の輸出しやすい環境作りに差し出された農産物>
 その後も続いた日本の輸出攻勢に対して、日米間では、半導体交渉、牛(肉)柑(橘)交渉、TPPと続いたが、その間に一貫して犠牲を強いられたのが農産物である。とてもではないが、1980年代の500億ドルの貿易黒字の解決には役立たなかったが、日本側は、少しでも工業製品の輸出しやすい環境を作るために、一品目ずつ剥ぐような形で農産物を自由化していった。
 1980年代初期、週刊朝日は、通産省の高官がアメリカ側に農産物自由化要求リストを手渡したと報じた。また、日の出の勢いのあった中内㓛ダイエー社長は、アメリカ側にどんどん輸出してくれ、自分がどんどん売ってやると言い放った。政府、経済界、学会も皆こぞってそうした動きを当然視し、経団連、経済同友会などが農政提言を頻発し、農業補助金の削減、農産物の自由化を主張した。土光臨調も手伝い、世の中こぞって農業過保護論の大合唱だった。私は農林水産省大臣官房企画室でその対応に追われて帰宅は連日深夜に及び、クタクタだった。
 
<1985年の篠原の警告のとおりの状況ではないか>
 こんな浮かれていることをしていたら、いつかこの国は歪んだ国なり、潰れてしまうと心配するようになった。1985年に日本の行末に危機感を抱いて、石橋湛山の小日本主義に傾倒した。日本は寄生的通商国家、経済的大日本主義国を目指してはならず、分際をわきまえた小日本主義に方向転換すべき、と5頁にわたり週刊東洋経済に書いた(1985年11月2日)。
 今、私が共同代表の一人となり「石橋湛山研究会」で石橋湛山の政策を勉強している。当時ごく一部が関心を持ってくれたが、日経の経済教室では当代の人気経済学者竹内靖雄が「錯乱ないし自閉症的対応」と酷評した(1985年5月26日)。しかし、私が危惧したとおり、経済大日本主義、工業大日本主義にも陰りが見られるようになった。失われた30年であり、賃上げのできない低成長国である。いや、むしろ発展途上国ならぬ『衰退途上国』と呼んだ方が的確である。2025年は、ひょっとして今後の衰退・転落の〇〇年の走りの年になるかもしれない。

<今は、半導体保護論が流布してもよい>
 戦後の廃墟から立ち直った日本の高度経済成長は世界中から驚異の目で見られ、経済大国日本は、軍事大国ソ連に代わるアメリカの新しい敵対国と目されるようになった。何でも1番でないとならないアメリカから強烈なプレッシャーがかかり始めた。
 まず、一時は世界の70%を占めた半導体が目障りとなり、日米半導体交渉が行われ、当然日本側の妥協で決着した。それから四十年、日本は半導体が足りなくなり、台湾企業TSMCに泣きつき、IBMに協力を求め、なんと国がラピタス等の私企業に十兆円もの補助を出すという没落振りである。
 散々こき下ろしていた農政も、余剰米の処理に3兆円しか(も)注ぎ込んでいない。それを今私企業に10兆円を投入するのだ。これを「半導体過保護論」と言わずになんと言うのだろうか。曰く半導体は「産業のコメ」だから、これくらいないと日本はやっていけなくなる。しかしその一方で、本家のコメが危機に瀕しているのに、ほったらかしである。

<脅しては引っ込めるトランプ流取引>
 トランプ大統領は、アルミ、そして鉄鋼に25%の関税をかけ、続けざまに自動車にも25%の関税をかけた。そこに24%の相互関税である。しかし、相互関税の方は90日間執行を停止して、二国間交渉をすることになり、(一番妥協してくれそうな?)日本はその一番バッターとなった。今後引き続く交渉のモデルとして世界の注目を浴びることになった。
 しかし、大方の予想に反し、輸出が対前年比21%減になった中国と、中国への145%の高関税で国内の物価高が生じて困惑するアメリカがさっさと交渉し、115%と大幅な関税引き下げで妥協した。完璧ではないが、一応は一段落の一番乗りである。

<またぞろコメを標的にして譲歩を引き出す算段>
 日本は交渉の第一歩として、700%の関税(実際は341%)とトランプ大統領に喚かれている米の輸入拡大が俎上に上がった。まさに戦後の農産物自由化の愚かな歴史をまた繰り返そうとしているのである。
 しかし、そんなことはアメリカの本意ではない。いつもの通り脅しであり、他の妥協を導き出さんがための三味線にすぎない。なぜなら685億ドルに及ぶ対日貿易赤字は、数万tいや10万tのコメの輸入を拡大したところで雀の涙であり、少しも解消することはないからである。当然のことであるが日本政府は珍しくコメに手をつけない姿勢を打ち出している。

<参院選を前に農産物では譲れない政府・自民党>
 第一に参院選が控えている。1989年の参院選は、牛柑交渉で大幅に妥協した直後であり、自民党は33議席減らす歴史的敗北を喫している。私は議員になってから民主党等の野党が29のうち23の1人区で大勝利し、自民党が6県しか取れなかった2007年を上回る敗北だった。
 今、農民の数は急激に減り、かつてほどの票の重みはもっていない。しかし、同じような農業を売る暴挙を許すことはあり得ない。
 第二に、幸いにして今の政府自民党は、「地方・農村に目を向ける石破首相にエールを送る(24.10.08)」で述べたとおり、史上まれに見る農林族が党幹部、内閣を占めており、農に思いを馳せる人たちが牛耳っている。
 石破首相は16年前の麻生内閣の農相、羽田孜以来30年ぶりの農相経験者の首相である。森山幹事長は、ほぼ一貫して農林畑を歩んできた農林族のドンである。
 ただ、やれ大豆やトウモロコシなど、ほか農産物の輸入拡大でお茶を濁そうとしているのは、気に障る。アメリカは農産物など眼中にないのだ。第一に自動車、そして電子機器等の工業製品の輸出なのだ。だから、報復関税を課している中国の代わりに大豆を輸入するといっても、そもそも安い農産物の輸入金額は知れており、少しも貿易赤字は解消しない。だから、農産物の輸入は日本が売りにするほどアメリカは評価してくれまい。

投稿者: しのはら孝

日時: 2025年5月24日 12:23