【参院選総括シリーズ1】両院総会:民主的な自民党(2025)vs. 非民主的な民主党(2012)-民主党が両院議員総会を開いていたら分裂せずにすんだ2012年- 2025.08.06
今自民党は両院議員総会開催前に揉めている。それを横目で見ながら、私は2012年を回想している。なぜなら2012年、今笹川博義農林水産副大臣がしている両院議員総会開催のための署名集めを、私が必死でしていたからだ。
<形式だけのガス抜き場だった12年の民主党の諸々の会合>
自民党の動きは、石破茂総裁の責任を問い、総裁を辞めさせ新体制に持ち込むための動きである。2012年当時は、「社会保障と税の一体改革」を野田佳彦政権が強引に進めることに反発し、小沢グループを中心に党内が騒然としていた。
私は、折角手にした政権の座をそうやすやすと手放すべきではなく、そのためには分裂は絶対避けなければならないと考えていた。放っておいたら、いつもの通り執行部が暴走してしまうのが目に見えていた。全員討議も繰りか返されていたが、両院議員懇談会はガス抜きの場でしかなく、最後はひな壇の執行部一任ですませてしまう。党名が泣く非民主的民主党だった。
<森山幹事長の見事な采配>
その点、政権与党を長く続ける自民党は大したものである。党員の声に耳を傾け、それに従う姿勢に雲泥の差がある。
両院議員懇談会(7月28日)には286人が出席し、67人が意見を述べたという。そして、その時の意見もあり、森山裕幹事長は、8日の両院議員総会開催をさっさと決めた。両院議員総会を開催するに必要な3分の1の署名が集まったと言う笹川氏に、いわば肩透かしを食らわして先手を打って執行部の判断で開催することにしたのである。森山幹事長の采配は見事である。
それに対して、2012年当時の執行部はそんな公正なことをする意識は全くなく、政権の座に着き、完全にのぼせ上がり、何事も強引に進めようとしていた。森山幹事長のような公正な知恵者はいなかった。
どこの党も党則は概ね似たようなもので、民主党も自民党も両院議員総会の開催の条件は全議員の3分の1の署名と同じ。ところがちょっと違いがあって、民主党は期限なし、自民党は提出から一週間という規定がある。
<両院議員総開催要求署名>
12年、発起人が気に入らないから署名しないというものが少なからずいることを知っていたので、私一人で一気に集めた。信じられないほど多くの人にすぐに署名をもらった。皆、分裂阻止を願っていて、それに向けて動いている私を励ましてくれた。
<憲法にも〇〇以内の規定なし>
この〇週間以内は大事で、憲法53条に議員の要求による臨時国会召集の規定があるが、やはり同じく〇週間以内の記述がないため、いつも政府・与党にはぐらかされている。このため、今の自民党憲法改正案には「2週間以内」という規定が入っている。私はこの後不備を修正すべく意見を述べて、規約が改正され、それを引き継ぐ今の立憲民主党の党則には2週間以内が入っている。
<12年の幻の両院議員総会>
自民党の議題は、石破首相の進退であるが、12年の民主党は、対立している消費増税について採決により決するという単純明快なものである。そして重要性の点では、25年は党首の首をどうするかということだけで、自民党は存続するのに対し、12年は民主党の分裂の危機である。私は未熟な執行部では党を潰されるという懸念から、2011年の菅後継を決める代表戦には、自民党の重鎮だった鹿野道彦を担いでいたが実現せず、恐れていた未熟な執行部が党の命運を握っていた。後で分かったことだが、野田総理、岡田副総理、前原政調会長、輿石幹事長等は、否決されることを恐れて開催しないことを決めたという。何かにつけて自信がなかったのだろう。私はむしろ執行部に助け舟を出して、さっさと公正に決めてしまえと促していたのだ。多くの反対者がいたが、大半は法案に賛成だったはずである。それをどうも万が一を恐れたらしい。
多数決で否決されたら引き下がるしかないのに、それをせずに隠ぺいしたまま突っ走り、そしてとうとう民主党政権を3年3カ月で終わらせてしまったのだ。
私は民主党政権の節目は数多くあったが、あの時両院議員総会をきちんと開いておけば分裂はなかったと確信している。なぜなら、400名を超える巨大集団となった民主党は、もともと議論しているようで何もしてない執行部に苛立っていたのだ。公明正大に決を取ったら、大半の人は賛成でも反対でもその決に従っただろう。組織人として当然のことである。それでも従わないものは除名すれば良いだけのことである。
<きちんと手続きを踏む自民党>
臨時国会閉会後の8月8日(金)に両院議員総会が開かれることになっている。ごまかして開催せずに乗り切ろうとしたずるい民主党と、議員の民意を組んできちんと開催する王道を行く自民党の党運営との間には計り知れない差が見える。両院議員総会は、党大会に次ぐ議決機関であるが、総裁の進退を議決することは出来ないとされている。総裁のリコールは国会議員と都道府県連の代表者の過半数で総裁選の前倒しをすることができるだけである。
<12年の本会議では退席>
うるさい私には執行部も少々気にしたようで、国対委員長が使者(?)となり、なんとか両院議員総会は勘弁してほしい、開催できないことを代議士会の場で幹事長が弁明することで許してほしい、と懇願してきた。優しい私は署名をしてくれた人にはすまなかったが、どこかで妥協しないと進まないので仕方なく承諾した。
私は午前中の社会保障と税の一体改革委員会の採決では法案に賛成した。ところが代議士会では、執行部は何を言っているのかわからない発言で、ことの成り行きを知っている私にも皆目理解できなかった。適当に懐柔してやり過ごし、本会議で採決してしまおうとしていたのだ。私は怒って、初めて「1/3以上の署名を集めたのに両院議員総会を開かないで物事を進めていることは許しがたい。due processを適正な手続きを踏んでいない法案には賛成できない」と発言し、本会議は退席した。
しかし、法案そのものに反対して退席したり欠席したものとは理由が違っていた。私の必死の分裂阻止の行動も実らず、小沢グループは離党し、野田政権は党のルールを破って延命し、12年末の解散・総選挙の敗北、下野に向けてまっしぐらに突き進んでしまった。
このように署名集め等が併行する際どい時の両院議員総会は、党の命運を左右する。
<今も続く非民主的民主党と民主党自民党>
私は今進行中の自民党の誠実な対応と、2012年のそれこそ不誠実極まりない対応を比べ、自民党を羨ましく思う。13年も前のことだが、私は今考えても怒りを覚える。きちんと両院議員総会を開いていたら、分裂することもなく民主党政権が続き、軽やかに政権交代できる二大政党制が定着したかもしれないのだ。
2012年、民主党はガタガタになったが、きちんと手続きを踏んでいる今の自民党は、結果がどうなろうが、つまり執行部が逃げ切ろうが、石破総裁リコールに進もうがガタつくことはないだろう。なぜなら正式な手続きを踏んでいて、ごまかしがないからだ。官邸には異例に「石破辞めるな」のデモが続いている。国民が両院議員総会の成り行きをしっかり見つめている。多分雨降って地固まり、自民党は生き延びていくだろう。