2025.09.30

その他

河川敷にひっそり佇む柳の木の前で「ふるさと」を合唱してやりたかった ―せめて遺骨収集は国が責任をもって取り組むべきではないか―25.09.30

<私の満蒙開拓への関わりの始め>
 私は20余年前に寺沢秀文館長を知った。その時はまだ阿智村の満蒙開拓平和記念館(以下「記念館」)もできておらず、満蒙開拓の話をした覚えはない。
 私が満蒙開拓に深く関わり始めたのは、2014年1月31日のテレビ中継入りの予算委員会で特定秘密保護法の不備を追及、ソ連軍に関東軍の撤退を知られるのを回避するため、最北の開拓農民に8月15日の終戦を隠し通し、10日後8月25日の高社郷の集団自決を誘発したことを使って批判してからである。

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<ひょんなことから始めた篠原事務所主催の慰霊祭>
 折しも中野市の慰霊祭は、関係者が少なくなり存続が危ぶまれていた。そのため少々格好いいことを言った手前その後は篠原事務所が8月上旬は総出で裏方を務めて継続してきている。(ただ、私が国会議員をやめたら一体この慰霊祭がどのように継続してくれるのか考えると頭が痛くなる。中野市、山ノ内町、飯山市、木島平村、野沢温泉村、栄村の関係市町村で協力して引き継いでもらいたいというのが私の切なる願いである。)
 その延長で、まずは高社郷関係者と共に記念館を訪れ、さらに悲惨な最期を遂げた満州の地でお線香を手向けたいと願っていた。前者はこの8月3日にやっと実現し、コロナの影響で5~6年中断していた寺沢さんたちの主催する慰霊の旅(8月27日~31日)にようやく参加することができた。

<海外からの参加者もいるユニークな団体>
 20人の団体旅行は、何十年も前の修学旅行と同じく心がワクワクするものだった。伊那谷の関係者等が大半だと思っていたら、遠くドイツからの学者等県外者も多く、我が事務所の2人も含め、かなりユニークな構成に驚いた。最年少22才から最高齢92才まで70年の隔たりもなかなかのものだが、開拓農民に少しでも近づき、祈りを捧げたいという意識の高い人たちの集団だった。
 6年振りというが、非常にうまくセットされており、多分お墓も建ててもらえず異国の地に眠る人たちが引き合わせてくれたのであろう、満蒙開拓の歴史を知る現地の親切な人たちにも偶然に巡り逢えて、二つの開拓地跡で関係する跡地を訪問できた。

<中国にはすまない気持ちが先に立つ>
 私は、日本人にずかずかと乗り込んで来られ、土地を奪われた中国人の気持ちを考えたら心苦しい限りだった。それにも関わらず戦争残留孤児(山﨑豊子はこう呼んだ)を育ててくれた中国人にはますます頭が上がらなかった。
 ところが、私の心配は杞憂だった。中国はもはや日本を完全に凌ぐ「立派な国」になっていた。詳細は省くが、国も街もきれいである。道路も家も整備され、少なくとも都市でも農村でも道路にはゴミが落ちていない。至る所に分別収集のゴミ箱がある。人海戦術でくまなく掃除しているのがわかるが、その前に国民や市民のモラルが向上したのである。都市の緑は整備されており、どこかの国のように首都の歴史的神社を囲む緑を壊してビルを建てるなどという愚行はしていない。多分まだ遅れているだろうと思った農村も予想以上に社会資本整備が進んでおり、驚くべきことにゴミの散乱には一度もお目にかからなかった。

<「大地の子」を想起しながら回る>
 私は個人的には、高社郷開拓団の団長だった大伯父桜井万次郎、514人の集団自決を奇跡的に生き残り「ノノさんになるんだよ」を書き残してくれた高山すみ子さん、逃避行の果てに生き残った滝澤博義さんがまず念頭に浮かぶ。しかし、今回は改めて「大地の子」で父松本耕次が長春、ハルビン、勃利をローカル列車で、離れ離れになった息子勝男(陸一心)と妹あつ子を探しに行く場面を想い起こしながら、ほぼ同じ地域を回った。当時は北京から遠く、夜行列車の乗り継ぎだったが、今は高速鉄道とバスで効率よく回れた。

<柳の木の前に線香をあげ「ふるさと」を口ずさむ>
 一行は小さな村の河川敷の坂を下ってひっそりと佇む柳の木に向かった。私は事情をよく知らなかったが、当時の事情を知る関係者が慰霊の旅で訪れた折に植えた柳だという。そこに線香をあげお参りした。実は柳の木の周りに開拓農民の遺骨が埋められていたのだ。私は知らなかったが、帰国後同行した信毎の上沼記者の記事で、関係者の子孫の岡崎さん松葉さんの2人が「ふるさと」を合唱していたという。
 私は驚き一緒に大声で歌えばよかったと後悔した。なぜなら中野市東山公園の慰霊祭は、故市川久芳元飯山市議の発案で、「ふるさと」の合唱で終わるのが慣例になっているからだ。ふるさと長野へ帰れなかった同胞の気持ちを忖度しての閉式儀式である。

<大ヒットする「南京写真館」と「731」は行き過ぎではないか>
 中国は抗日戦争勝利80周年で反日プロパガンダが激しい最中である。南京大虐殺がテーマの「南京写真館」が封切られ絶賛上映中で多くの中国人が観ており、更にハルビンで人体実験をしたとして悪名高い731部隊を題材にした「731」というそのものズバリの映画も7月31日封切りの予定が満州事変の発端となった柳条湖事件の起こった9月18日の9時18分に封切られた。そして前者は約600億円、後者も21日までに230億円の興行成績を上げ、大好評を博し、反日ムードは否が応でも高まっている。
 我々一行はそんな反日ムードの真最中にもかかわらず30日の最終日には731博物館も見学した。日本の人気アイドルのコンサートの時と同じく周りは長蛇の列だった。ハルビンはロシアに程近く、美しい異国情緒も漂うきれいな街なのに、欧米人の観光客はほとんど見受けなかった。幸い我々は日本語を大声で話さない限り中国人と見分けがつかず粛々と館内を回ることができた。
 同じく反日感情が強い韓国は尹錫悦前大統領の時代に劇的にムードが変わり、今は日本が史上最高の好感度の国となっている。そんな中、大国中国がここまでするかと不快に思うばかりである。

<国が責任を持って遺骨収集すべし>
 国のために尊い生命を差し出した軍人の遺骨収集は硫黄島をはじめ随所で行われている。そして今、山口県宇部市の長生炭鉱の遺骨収集が新聞紙上を賑わしている(朝鮮人の遺骨収集に取り組んでいる井上洋子共同代表は天竜村の出身である。)ところが、私の知る限り、国もマスメディアも80年前の満蒙開拓農民の悲劇の遺骨収集にはほとんど目を向けようとしていない。
 逃避行の途中、森や畑の中で息絶えた人はともかく、集団で自決した場所は大半がわかっているはずである。まだ8万人が満州の大地で遺骨収集もされずに眠っている。本当は墓を建ててやって然るべきだが、知らないとはいえ中国への侵略に手を貸したのであり、それは失礼にあたる。しかし、日中国交回復の前の1963年に中国政府が建ててくれた5,000人の日本人公墓、「方正の墓」が既に存在する。抗日戦争勝利80周年の異様なムードが一段落したら、日本は中国ときちんと話し合い遺骨収集を進めるべきである。

 実は17~23日に先述の工業団地帯の視察があり、25日の中野の高社郷慰霊法要のために帰国、27~31日に中国東北部の視察と続き、後半バテ気味となり、生き残った元気な92歳の参加者より体力がないことを痛感したが、満足感でいっぱいの旅となった。
 このような機会を与えて下さった皆さんに深く感謝を申し上げる次第である。

投稿者: しのはら孝

日時: 2025年9月30日 14:35