2026.07.20

農林水産

【菜の花シリーズ③】高野辰之と中山晋平そして岡野貞一 ―「朧月夜」の菜の花畠が結ぶ縁―26.07.20

<猪瀬直樹が「唱歌誕生」で高野辰之を主人公に取り上げる>
 中野市は、日本のふるさとを詞にして6本の文部省唱歌を作詞した高野辰之と日本の情感を幅広いメロディーにし、数多くの流行歌を作曲した中山晋平の2人の音楽家(芸術家)のふるさとである。
 中山晋平は「カチューシャの唄」で一躍有名になる。歌手松井須磨子は大河ドラマ「春の波涛」で取り上げられている。そして最近「シンペイー歌こそすべて」成る映画が中村橋之助主演で作られている。
 それに対して「ふるさと」、「「春の小川」、朧月夜」、「春が来た」、「紅葉」等の誰でも口ずさめる歌の作詞家、高野辰之はあまり知られていない。私はこの差を苦々しく思っていたが、それを一部払拭してくれたのが猪瀬直樹の「唱歌誕生―ふるさとを創った男」である。島崎藤村も中山晋平も登場する北信州の芸術家の群像が鮮やかに描かれている。

<飯山生まれ猪瀬の高野辰之への思い入れ>
 私は弟の猪瀬冬が高校の同級生だったので、その兄として早くから知っていたので著書も数冊読んでいた。著名な三人の作家を取り上げた、太陽の男(石原慎太郎)、ピカレスク(太宰治)、ペルソナ(三島由紀夫)の三冊も全て目を通したが、私自身文学とはほど遠い存在であることもあり、失礼ながらさしたる感動もなく、それほど面白くも思わなかった。
 しかし、高野辰之のものは違った。最初から興味津々であり、あっという間に読了した。猪瀬は飯山市で生まれ、父が幼いころに亡くなり、小中高は長野市で育っている。彼にとっても高野辰之はより身近な存在だったのだろう。私には猪瀬がふるさとの情景をこよなく愛した高野辰之と共感することが多いことが行間より読み取れた。
 飯山のお寺の娘が西本願寺の高僧の秘書として仕える件りには驚かされた。アジアに夢を追った仏教僧のロマンに血が騒いだ。

<高野辰之と岡野貞一のコンビ誕生>
 私は地味な高野辰之を巡る人々こそ近代日本の勃興期の物語として世に知らしめるべきだと思う。ところが中山晋平と異なりTVドラマに1回なっただけだという。高野辰之は日本の歌謡史の研究で念願の博士になったが、「未は博士か大臣火」時代ではなく、その業績など今や知る人はほとんどいない。そうした中、若かりし頃片手間に作詞した唱歌が日本人の心に沁みて、今も歌い継がれている。
 そしてそれに曲をつけたのが鳥取市生まれの岡野貞一である。東京音楽学校で同世代だったからだ。クリスチャンであり、猪瀬によると岡野の曲には讃美歌のメロディーが取り入れられているという。

<篠原も務めた「菜の花議連」会長>
 私は2003年議員になりすぐメンバー入りした。その後、私がほとんど実務を担って運営してきた。2000年に設立された菜の花議連初代会長は「菜の花サミット」の生みの親・藤井絢子の地元議員である川端達夫である。民主党が政権を担い、川端が閣僚になってからは暫くの間私が会長を務めた。閣僚は議連の会長をやってはならないという不文律があるからだ。川端も思い入れがあるのか、政権から降りると会長を戻せと言ってきた。私はすぐに受け入れたが、2009年の選挙で落選してしまった。そこで、会長は与党の保利耕輔、そして河村建夫と受け継がれた。
 そして、次が石破茂である。もともとメンバーだったが、生臭さが漂うため(?)か、議連会長はあまり務めていなかった。石破前首相は岡野貞一と同じく鳥取の生まれでかつ私と志を同じくする農林議員、私の独断で発案し今に至っている。数ある議連の中でこんなにふさわしい会長をいただいてる議連はそうはあるまい。

<鳥取市と中野市を結ぶ縁>
 かくして、二人の芸術家の後輩政治家が菜の花を後押ししようとしているのである。そして、そこに猪瀬議員が加勢することになり、今回高野辰之の生地で現地総会が実現した。
 中野市は中山晋平の友人の作曲家や作詞家の縁で仙台市(土井晩翠(荒城の月の作詞))、竹田市(滝廉太郎(荒城の月の作曲))、北茨城市(中山晋平の多くの曲の作詞家野口雨情)、長野市松代)、浜田市、糸魚川市(島村抱月(カチューシャの唄に関係)と音楽姉妹都市である。ところが、高野辰之の生地豊田村と合併したのは20年前のことから姉妹都市交流はなく、遅ればせながら今進行中と聞いている。
 鳥取市には岡野ら地元出身の作曲家を「わらべ館」で紹介しているという。高野の生誕150年を記念して、2026年、中野市を紹介する企画展が開かれている。更に、野沢温泉村の「高野辰之記念朧月夜の館―」と共同のオリジナルグッズを制作中という。双方で2人を讃え合い交流を深めつつある。
 石破会長の間に鳥取でも現地総会是非実現してほしいと思っている。さもないと不平等になる。その時は藤井絢子さんとともに特別ゲストで出席させていただこうと思っている。

 <長野駅前の「油や」で慰労会>
 一般市民向けに14万枚のチラシを信毎に折り込んだこともあり、石破・猪瀬ダブル講演、対談ばかりが印象に残ってしまったが、私の主眼は菜の花議連の現地総会で「菜の花畠」の復活による地域の活性化、景観維持、油の地産地消、そして日本全体の自給率の向上である。
 2人の著名で多忙な国会議員に5月のゴールデンウイークのど真ん中の日(5月4日)に1日潰して北信州を引っ張りまわしたのだから、ささやかといえどもご慰労をしなければ罰が当たる。猪瀬議員の部屋の打ち合わせで、ちらっと「りんごで育った信州牛」の話しがでて予定に入れたが、警護がやれ石破前首相はどこに座る、車何台で移動する、出席者は、、、とうるさくて対応するのに辟易した。
 そこで会場のメトロポリタン長野から目と鼻の先の「油や」に変更した。後付けだが、まさに菜の花議連にふさわしい会場である。1833年(享保4年)創業以来193年を迎える老舗の蕎麦屋。灯りが油だった時代、油と塩を商いしていたが、長野駅の誕生とともに長野駅前に移転。長野の象徴的飲食店、蕎麦屋となっている。

<律儀な油やへの恩返し>
 ここまではよかったのだが、途中、「りんごで育った信州牛」を日程表に入れていたところ、石破前首相の頭の中に入っており、胃袋もその準備ができていたようでがっかりさせてしまったことはお詫びするしかない。余程期待されていたのか(?)、油やでも「ここではりんごで育った信州牛はでないの」と、つっかかっておられたのは苦笑いするしかなかった。
 蛇足になるが、私にとって油やは有難い企業なのだ。2024年に裏金問題が取り沙汰されたので、普段あまり気にしない私の寄付を調べてみた。自民党議員と私の格差に改めて驚愕した。選挙のない23年は企業・団体献金は0、個人献金のみで85万円。さすが選挙の年には寄付をして下さる方が多くなるが、企業献金はなんと油やともう1企業のみ。初期の頃、先代の社長が茶封筒に1万円を入れて事務所に来られていた。それが9回目の2026年も続きなんと若社長にも引き継がれていることを後日(6月1日)知った。
 恩返しに油やを使わせて頂いたことになる。今回の大惨敗には触れなくないし思い出したくもないが、大敗の一因に賃金格差などとは比較にならない企業献金の大格差(相手は2,600万円、私は100万円そこそこ)があることを有権者の皆さんも知ってもらいたいと思う。

《政治資金を全て使い果たしての幕引き》
  私は24年の裏金選挙の折、「恥ずかしながら、女性スキャンダルなど煙もなく、表金さえ事欠くのだから裏金問題などあるはずがない」と冗談を言っていた。だから退くときは政治活動として貰った金は全て使い果たし、きれいに終わろうと考えていた。それが23年間で最も大規模な件の会合である。会計担当秘書が、選挙期間も短く選挙にそれほど金がかからなかったので余裕があるというので、思い切って有権者に恩返しのつもりで石破・猪瀬ダブル講演を設営した。三月に事務所は閉じており、動ける元秘書は一人だけ。280万円もかかってしまい想定外の赤字になってしまった。選挙前にこういうことしてたら当選できたのに、と言うコメントには返す言葉がなかった。しかし、600人余の皆さんに満足頂いたことでよしとしよう。

投稿者: しのはら孝

日時: 2026年7月20日 09:54