2023.11.05

政治

【参議院選挙制度シリーズ①】 地方の声が国会に届きにくくなっている - 1票の格差ばかりを気にして人口比で定数を決めていては都市の声しか通らなくなる -

<参院合区は問題だらけ>
 徳島・高知の合区の参議院補欠選挙は、もともと自民党議員の不始末による辞職に端を発しており、野党広田一の圧勝に終わった。投票率は全体で32.16%(19年42.39%から10.23ポイント下がった)。広田と西内健の地元でない徳島では高知(40.75%)と比べて、16.83ポイント下回り、23.92%の投票率に過ぎず、有権者の冷ややかな対応が如実に表れている。両県とも参院選としては過去最低の投票率となった。合区が導入されて以降、投票率が低迷している。馴染みのない他県の者などに投票しても仕方ないという心理が働いており、当然の結果である。
そもそも参議院の役割すら問題になっているのに、それに追い打ちをかけるような合区は投票の意欲をなくす。既に鳥取・島根にも適用され、地方区の参議院議員がいなくなった県を救うため、珍妙な「比例特定枠」を設けてその県の衆議院議員を優遇している。ところが、徳島県ではその者が辞職して徳島県知事選に出馬するなどという意外な落とし穴もあり、うまくいっていない。党利党略の上に個利個略が上乗せされたのだ。

<このままでは都市部の意見ばかりがまかり通る国に変形される>
 私は倫選特(政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員会)に長らく所属し、ずっと選挙制度の改革について考えてきている。日本の政治を少しでも良い方向にもっていくためには、多くの人が納得する選挙制度が不可欠である。諸々の問題がある中で、私はこのまま人口比で定数是正をしていくと、日本が人口の集中する大都市の人たちの思いのままに造り変えられてしまうのではないかと、ずっと危惧し続けてきた。その弊害が端的に表れたのが参議院の合区である。
 悩み深い問題だが、合区の前に今回はまず50年前の衆議院の定数と比較してこの問題を考えてみたい。

<10増10減の5増となる東京は定数5の長野県がくっついたと同じ>
 まず、直近の事例から言うと、2022年の10増10減は、東京選挙区が5増(議席数で見ると長野県が1つくっつく形)、他に埼玉、千葉、神奈川、愛知、大阪とそれぞれ1増となった。そして、宮城、新潟、福島、滋賀、和歌山、岡山、広島、山口、愛媛、長崎の10県が1減した。つまり、首都圏、中部圏、近畿圏が増え、地方が減ったのだ。こうした定数是正がずっと続けられてきている。

<増減の格差がますます拡大する>
 そこでまず50年前の1973年と2023年の定数がどう動いたかを別表1小選挙区中選挙区での増減(別表1).xlsxで見てみることにする。1973年は491の定数に対して、今は289の小選挙区なので、491に換算してみた。すると、上記6都道府県の他に兵庫、奈良、沖縄が増え、他38都道府県が減っている。新潟(-6.5)、福島(-5.2)、長野(-4.5)、鹿児島(-4.2)、山口(-3.9)、長崎(-3.9)の順に減少が多い。一般的にはよく東京一極集中と言われるが、この50年で見ると、神奈川(20.0)、埼玉(14.2)、が東京(12.0)を上回っている。千葉(10.2)が4位で、首都圏全体で57増となっている。一方近隣の茨城、栃木、群馬、山梨は全て減少している(合計4.7)。東海でも愛知(7.2)のみ増で他の岐阜、静岡、三重の三県は減。それに対し近畿では大阪(9.3)が抜きんでているが、兵庫(1.4)と奈良(0.1)も増えている。つまり、増える県は大幅に増え、多くの減少県は少しずつ減っており、増減の格差が拡大している。

<ブロック別でも増加と減少の格差が顕著>
 これを別表2小選挙区中選挙区での増減(別表2).xlsxのブロック別で見てみると、各地方なりブロック別の増減の差が更にくっきりとわかってくる。
 減少ブロックは、東北(-19)、北陸信越(-16)、中国(-13)、四国(-9)と続く。北関東は埼玉、東海は愛知が他の県の減少を相殺し全体ではそれぞれ7と2増となっている。近畿も3県の増により5増となっている。東京は10増に対し、南関東ブロックは、神奈川(20.0)、千葉(10.8)の2県の大幅増により、27増と突出している。北海道、東北、北陸信越、中国、四国、九州のブロックで77減、3つの大都市圏を含む東京、南関東、東海、近畿で51増となっている(491から465と26減があり、増減が合わない)。つまり、この50年間で国会では地方の声が小さくなり、大都市の声ばかりが大きくなっているのである。

<居住要件で落下傘議員を減らす>
 更に最悪なのは、地方政治家の人材が乏しいのか、多くの落下傘議員がいることである。我が長野県の例で言えば、長野で生まれ育ったのは務台俊介と私だけで、他は皆、県外生まれ県外育ちである。これでは地方は生の声を国政に反映するのが難しくなるばかりである。かく言う二人も、中央省庁に30年余り勤め、退官後国会議員になっており、人生の大半は長野で暮らしておらず、落下傘議員と大差ないのかもしれないが、方言もわかり友人知人を通じて生の有権者の声が届きやすいのではないのかと思う。望ましいのは、もっと地方に根を張った国政政治家なのだ。
 出馬の機会をあまり狭めるのはよくないと思うが、地方自治体議員に3ヶ月の居住要件を課しているのだから、国会議員や都道府県知事や市町村長にも、少しは地域とのつながりを求めてもよいのではないか。アメリカでは国会議員にも出馬する選挙区での居住要件が付されている。つい最近も辰野町の町議が東京のマンションに居住していたとして、選管は議席を無効とするなど、かなり厳格に対応している。

<一票の重みだけを重視し過ぎではないか>
 10月18日の最高裁判決もそうだが、私はなぜ1票の格差だけに焦点があてられるのか不思議でならない。あまりにも画一的すぎるのではないか。こうなると憲法改正が必要という人がいる。それならば、参議院の在り方こそ憲法審査会で優先的に議論されるべきではないか。その際、国政の無駄をなくす議論の時は決まって国会議員定数の削減がまことしやかにささやかれている。国会議員の定数は合衆国のアメリカと比べれば多いが、他の西欧先進国よりずっと下回っていることを国民にも説明し、地方にボーナス定数を設けるなどの工夫をしていくべきだと思う。

<人口だけで律するのは時代遅れ>
 国会議員の仕事はなにも「日本人」のことだけを考えることではない。日本の国土全体、自然環境の保全も考えなければならない。例えば、長野県の森林を守り、千曲川の水環境を考えることが、東京選出の議員にできるだろうか。国会議員は、国土の代表でもあるのだ。それも人口のみの代表とするのは、SDGsの時代にふさわしくないのではなかろうか。

投稿者: しのはら孝

日時: 2023年11月 5日 11:48