2024.05.27

環境

【水俣病シリーズ4】 天(出自・発足のきっかけ)に唾する環境省 - 政治決着による水俣病患者全員の救済を求に持ち込む -24.05.27

 5月1日の水俣病の慰霊式において環境省はとんでもないことをしでかした。8団体が参加していて3分ずつ発言の機会を与えられていたが、そのうちゆっくり話す82歳の水俣病の裁判の原告で、この1月に妻を亡くした方が話しておられるときに突然マイクを切ってしまった。2人か3人が同じようなことをされたというのだ。最初は小さくしか報道されていなかったが、連休を経て大きく報道されることになった。

<水俣病がきっかけでできた環境省>
 そもそも環境省は水俣病のことが色々言われたことから1971年に環境庁として発足した。
私は1973年に農林水産省に入省したが、チラッと心が動かされたことがある。1972年は法律職の一番が環境省に入省したという。それだけ世の中の注目を浴びていたし、志のある人たちがいっぱい行くと予測できた。私は縁の深い農林省(当時)に、私が行かなかったら誰が行くんだと、面接官の前でも大見得を切って農林省に入省した。つまり私には皆が困っているところ、あまり目の届かないところ、すなわち華やかさとは無縁なあまり人がやりたがらない地味な分野で頑張ろうという気持ちがあった。

<国会では地方出身議員の行きたがる農水委ではなく関心の薄い環境委>
 しかし、国会では地方を地盤とする者は農林水産委員会を希望する。だから、ここでは逆に農水委を私は控えてきた。ただ、党の会合は皆勤している。それに対して環境委員会は地元の有権者の関心も薄いし、自民党的な間隔からすると業者との付き合いもないし、希望が少ない委員会である。だから私は一つに上述の人生観(?)の延長線で、もう一つはエコロジストという関心もあり、環境委員会の所属はすでに10回以上になる。

<超党派議連会長は篠原から地元を抱える西村智奈美へ>
 そうした関係もあり一時、誰もやる人がいないからということで「水俣病被害者とともに歩む会」の会長を仰せつかっていたことがある。ただこれは私のように地元に全く関係ないので、すぐ陣容を改め、地元で阿賀野川水銀問題を抱える西村智奈美を会長にし、水俣のすぐ南の鹿児島県で地元に患者も多い野間健を事務局長という体制に切り替えた。私の一存で決めた体制だった。

<引き続く裁判の決着の年>
 時あたかも、ノーモア水俣病の4カ所の裁判の結果が出る年になっていた。そして大阪地裁であっと驚く全面的な原告の勝利となったが、その後熊本地裁は1番冷たい拒否反応であった。そして新潟地裁は昭和電工の企業側の責任だけを認めて国の責任は認めないという中間の判決が出て、あと残すは東京だけとなった。ただ熊本は第8弾まで分かれて裁判が起こされており、これから次々判決が下るということになっている。

<大臣の進退問題ではない>
 そうした矢先のマイク打ち切りの暴挙であった。環境大臣の進退問題に結びつける向きもあるが、そんなことをする場面ではない。
 責任をとって辞任しろという要求に対して、いつもの通り大臣としての職責を全うする、とお決まりの弁明である。それならば環境大臣にまさに責任を全うしてもらって、この際、水俣病患者全員を救済する政治的決着を図るべきだ。

<ミナマタの解決には日本のシステム自体が問われている>
 なぜならばこの水俣病問題は世界から注目されているからである。ヒロシマ、ナガサキとその次に日本の地名で出てくるのがミナマタである。そして今はそこにフクシマも加わっている。高度経済成長期、ひたすら金儲けに走った日本の残した負の遺産、水俣病は公害の原点として世界的に知られているのだ。
 行政がしっかりしていれば、さっさと決着したところを決着しないので、裁判を起こされ、そこに2009年に「水俣病被害者の救済及び水俣病問題の解決に関する特別措置法」という議員立法も加わり、行政、立法、司法の三者一体となって進んでいるところである。これがうまく解決できなかったら日本のシステム自体が問題視され、いまだ水俣病患者の問題が決着していないということを世界の人たちが知ったら物笑いになることは確実である。

<地方説明会も各省により対応がまちまち>
 こういった現地説明会とかいうときに各省のいろいろな対応の違いが出てきてしまう。かつて小泉内閣の頃のタウンミーティングで、出席者に5,000円ずつ支払われていたということが問題になったことがあった。他にも原発の関係の会合で、経産省が電力会社に「やらせ質問」を依頼していたことが報じられ、原子力行政を揺るがす事態になったこともある。
 私が30年勤めた農林水産省の地方説明会ではお金を払って来てもらうといったようなことは聞いたことがない。会合では現場を知らない「霞ヶ関農政」と的確な(?)罵声を浴びせられることもある。そこでマイク切るとかこれでおしまいということなど考えられない。

<各省の役人気質もまちまちで、高圧的な旧内務省系の役所>
 横道にそれるが、まじめにそこで長く仕事していると各省のカラーというものが出てきてしまう。農林水産省でいえば農民や漁民からはもちろん消費者からの監視の目があり、意見を言われる。国会議員との対応ではうるさい農林族からあれこれ言われ、叱られてばっかりである。ところが、逆で典型的なのは総務省でそういうことがほとんどない役所である。若い頃からエリートコースを歩み地方の財政課長・地方課長とか、周りからヘイコラされ、だんだんそれが常になっていく。だから人が悪いということではなく、だんだん態度が尊大になっていく。本人たちは気が付かない。予算をつけ、税金を決めて、いつも受け身で査定をしている財務省も同じである。
 そういった点では旧内務省の役所すなわち総務省、厚生労働省(環境省も含む)、警視庁等は相当上から目線でものごとを見ている。そこに厚労省の中途採用の医系技監が入ると、患者に対して常に上から目線だった癖が抜けず、またまた謙虚さが失せていく。昔の体質が抜けておらず、国がやってあげているという態度であり、水俣病でいえば、患者に寄り添うという態度にはなかなかなれない。

<政治決着により水俣病患者の全面救済を求める>
 事務方の体質が起こしたミスである。1976年初入閣した石原慎太郎が、水俣病の患者の抗議文に対して「保証金が目当ての偽患者もいる」等と暴言を吐いたのとわけが違う。ここ数代の全くしろうとの環境大臣と異なり、環境行政を長らくやってきた伊藤大臣には、真正面から水俣病患者の救済に取り組んでもらいたい。少なくとも我々の「水俣病被害者とともに歩む国会議員連絡会」そして環境委員会メンバーは、水俣病患者全員を政治決断で救済するという全面解決を追求していくことにしている。

<新潟県阿賀野市と熊本県水俣市の2つの現地を視察>
 実は、上述の野党議連は、昨年5月水俣病の現地を訪問し、12月には阿賀野川にも出向いて患者(原告)の皆さんの生の声を聞いている。私は前者はコロナに罹り行けなかったが、後者はフル参加し、皆川原告団長から涙の出るような話をうけたまわった。5月19、20日に立憲民主党の環境委メンバー総勢15人余で現場の声を聞きに行った。8団体から最後30分(環境省の3分の10倍)はいろいろ意見を聞いてきた。一日も早く決着をつけなければならないと更に思いを強くした。

<余禄:戦前にあった電力の地産地消による地方振興>
 本題からは少しそれるが、今回の視察で勉強になったことが1つある。水俣と阿賀野双方とも水力発電所があり、戦前それほど電力を必要としなかったのであろう、都市に送るのに余った電力で地元の工場を動かしていたというのだ。その点では、電力の地産地消をしていたのだ。それに引き換え、戦後は柏崎刈羽も福島もただ原子力発電所を押し付けるだけで、電力を活用した地元産業の振興を怠っていたと言えるだろう。エネルギーの地産地消という観点では戦前の政策の方が理にかなっていたとも言える。

投稿者: しのはら孝

日時: 2024年5月27日 13:33