環境省に落下傘次官はありえず医系技官を自前で採用・育成、環境行政を活性化する-健気な環境官僚の力をもっと生かすべく技官の知恵の結集する-25.06.09
<環境行政には霞が関の重要度が高い>
私は気がついてみたら環境委員会に14、5回所属している。大半の人には、私は農林水産委員会に所属していると思われているが、地方出身の同僚議員たちが、農林水産委員会を希望するので、私は遠慮して今まで3回しか所属していない。だからいつの間にか、環境委員会が多くなり、環境行政の応援団になっていると自分は思っているが、多分うるさいことばかり言う厄介な議員と嫌われているのだろう。
そもそも霞が関の行政の中で私は、環境行政ほど役人の力が重要な分野はない。例えば経済政策は民間の力がしっかりしているので、そちらが大半のことを決してくれる。私のホームグラウンドの農林水産行政にしても、多くの農民がいて、農業団体もあり、霞が関と無関係にそれで世の中も動いている。医療とか教育も、それぞれ応援団なり関係者がいて、それなりの声を発しており、ところが環境については、明確な関係者が存在せず、全国団体のようなものがなく。市民の環境に関心のある人たちの小さなグループだけである。ところが、ある分野になると、公害が典型的であるが、ものすごく深く関わりがあり、役所・行政しか頼りにならないという分野になる。だから日本の環境行政は何よりも環境省の役人にしっかりしてもらわなきゃならない。
<いまだに財務省出向の次官が続いている情けない官庁は環境省のみ> 資料1
環境省の体制は歪んでいると常々思っていた。その典型が環境省事務次官が21世紀になってからも、3人財務省から来ているのだ。環境庁が発足した初期の頃は、厚生省等から来ていた。1971年に環境庁が発足して、それから30数しか年経たなかったら、次官になる年齢に達してないのであり仕方がないことである。だから他省庁といっても、1番身近な分離独立したところの親元厚生省出身がいても仕方のないことだった。
ところが、環境庁が出来上がってもう半世紀、環境省になって(2001年)からもう24年経っている。同様の省庁に、防衛省がある。防衛庁が防衛省に昇格したのは、第一次安倍内閣の2007年のことである。ところが防衛省は、2009年財務省出の中江公人が事務次官になっただけで、あとは、防衛省の生え抜きが事務次官についている。中江は、収賄事件を起こした守屋武昌次官が4年もやり、省内が混乱していたため、中立の他省庁から次官を迎えただけだ。余計なことだが、中江は、1981~84年私が大臣官房企画室の時に出向してきており、私の読めない字の清書がいつの間にか得意になっていた。
<健気な環境省の役人の誇りを傷つける屈辱的人事は即刻やめるべし>
環境省は守屋事件のような不祥事がないにもかかわらず、3人が大蔵省(財務省)から来ている。私はこのことを、3日の環境委員会で取り上げて、浅尾大臣に内閣人事局に対して大臣が体を張って止めるべきだと進言した。財務省等には国会議員になるために財務省に腰掛けで働き、箔をつけながら、虎視眈々と出馬の機会を伺っているような人もいる。また、他の経済官庁では留学させてもらいながら途中で産業界に転身する者も多い。それに対して、環境省には天下り先というのもほとんどなく、純粋に環境問題を自分が取り組もうと希望に燃えて入ってくる人たちである、接していると、その健気な気持ちが伝わってくる。その人たちの中から事務次官が生まれず、他省庁からの落下傘がなっているのだ。
何も事務次官になるために役人をやっているのではないだろうが、現鑓水洋次官は次官になる前に3年しか環境省にいただけである。あまりにも環境省の役人を馬鹿にしている屈辱的な人事ではないか。農水省や経産省では、他省庁の落下傘次官など考えられない。
<50年もずっと続く厚生(労働)省からの出向の環境保健部長>資料2
次に医系技官の問題である。私が胸を痛めている水俣病等の解決に関わる環境保健部がある。驚いたことに、いろいろ課や局の名前が変わってきているのに、環境保健部は最初にできた1974年以来50年間変わってない。そしてそのトップの環境保健部長、そして保健業務課長等の幹部を医系技官がずっと占めているのも変わりがない。50年間ずっと厚生(労働)省の出先や植民地の形になっており、厚生(労働)省にまた戻り、環境省に根を張っていない。
厚生労働省は毎年10人前後の医系技官を採用している。そして、今環境省の環境保健部には、幹部9人中厚生労働省からの出向が6人、うち5人が医系技官である。それだけいるなら環境省はもう自前で医系技官を採用し育成すべきである。環境省は、アンブレラ官庁でありいろいろなところに関係している。だから、公害を起こす経済産業省の公害関係の課に出向することもできる。環境省からあちこちの省庁、他に食べ物に関わる農水省、消費者庁、そして都道府県と出向させればよい。多分有能な環境省育ちの医系技官は引っ張りだこになるだろう。
<国際機関は原則博士号取得者しか採用しない>
私はそもそも霞ヶ関の役人は、スペシャリストでなければならず、技術官僚が幅を効かしていいと思っている。嫌味を言うならば(隣の自民党の理事も笑っていたが)、まったくの素人などというのは、大臣と副大臣2人と政務官2人でたくさんで、事務方のトップ(落下傘事務次官)までも似たような素人だったら、下は馬鹿らしくてやっていられないのではないか。
技術系の役人は修士号、博士号を取った人をどんどん採用して、それだけの給料を与え、仕事をしてもらえば良いではないか。国際機関はそもそも、博士号がなかったら採用しない。どこでもそれだけ専門的知識が必要とされるということだ。ところが、日本の中央官庁は、法律、経済、行政のジェネラリストが要職を占めている。これは今後改善していかなければならない霞が関の問題である。
東日本大震災の折、経済産業省の原子力保安院長が、事務系であり放射能についての知識もからっきしなかったということに菅直人首相は激怒した。イラ菅という不名誉な渾名があるが、これは菅首相の怒りに理があった。
<謙虚さ、親切さに欠ける対応が目立つ環境省>
それからもう一つ注文をつけたのは、環境省の説明姿勢である。昨年の水俣病の慰霊式の時のマイクオフ事件が典型である。農林水産省で地方に農政の説明会に行って、意見聴取の途中で打ち切るようなことは起こりえない。一所懸命話しを聞き意見交換するが、霞ヶ関の机上の空論で何やってるんだと罵倒されたりする。それに対して、環境省の役人には、話を聞いてやろうと言う姿勢が欠けている。本人たちは気がつかないが、上から目線という伝統がすっかり引き継がれているようだ。
環境行政こそ国民の声を聴き、マスコミも味方につけ、政治の力も動員して多様な展開を図らなければならない難しい分野なのだ。それをしかと胸に受けとめて、環境行政を推進して欲しい。なぜならば、環境問題こそ世界中が結束して取り組まなければならない最重要課題だからだ。そして、頼りになるのは、まず第一に環境省だからだ。